「温故知新」の逆というわけではないが、最新のプジョー車に乗りながら、古(いにしえ)のプジョー車に思いを馳せてみたい。今回は、プジョー 208に乗りながら、日本でも人気のあった205などの200シリーズを振りかえってみたい。(タイトル写真は、上が205GTI、下が208GTライン)

205のデザインはピニンファリーナではない?

画像: 1983年に発表された205の3ドアに設定されたGTI。Cピラー部分のデザインがトレードマークだった。

1983年に発表された205の3ドアに設定されたGTI。Cピラー部分のデザインがトレードマークだった。

104の後継に相当する205を開発するにあたって、プジョーは新鮮な感覚をとりいれるためダイナミックなスタイリングを採用した。実は当初、104と同じような硬派なデザインを考えられていたが、当時のプジョーは経営危機の状況にあり、それを打開するためもあって、ダイナミックなデザインが採用されることになったのだった。

戦後のプジョーの社内デザイン体制は脆弱で、これを補うためにピニンファリーナと長年契約してきた。しかし、その体制も205開発の頃には充実してきたため、ピニンファリーナと社内デザインのコンペのような形を採用することになった。

ピニンファリーナは当初、自らがデザインした104の更新版のような硬いデザイン案を提案するも、その後デザインを改めて提案し直したという経緯がある。205発売当時のプジョーの公式発表で、このデザインはあくまでピニンファリーナとプジョーのコラボによる作品とされていた。しかし、実際に採用されたデザインはプジョー社内からの提案を元にしたものだという話は、あまり知られていない。

ちなみに、205のエクステリアデザインのトップが、その後プジョー全体のデザインを長きにわたって指揮するジェラール・ヴェルテールだった。そしてピニンファリーナとの契約を終えた次の206開発で、自社デザインへと転換してしまう。

205のトピックはスタイリングの新しさだけではなかった。高性能モデル「GTI」を大ヒットさせたうえ、「205ターボ16」というミッドシップの専用モデルを開発してWRC(世界ラリー選手権)に打って出たことでも知られる。プジョーはこの時期、パリ・ダカール・ラリーやル・マン24時間レース、F1へも挑戦し、スポーツ分野で大躍進する。205は、プジョーのブランドイメージを大転換させることに成功したモデルである。(文:武田 隆)

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