カウンタック誕生を祝って、幻の第1号車「LP500」をご当時そのままに再生産・・・そんな驚くべき活動をサポートしているのがアウトモビリ ランボルギーニが誇るヘリテージ部門「POLO STORICO」だ。今回は、これまで彼らが手掛けた名車復活の一端を、振り返ってみよう。

カウンタックLP500 のレストア・・・ではなく、再生産モデルが出現 

画像: イエローのボディカラーや、前245/60R14、後265/60R14のピレリ・チンチュラートCN12も忠実に再現。

イエローのボディカラーや、前245/60R14、後265/60R14のピレリ・チンチュラートCN12も忠実に再現。

1973年3月、開発車両が衝突試験の犠牲となって以来、「LP500」はこの世に存在しない文字どおりの伝説となっていた。そのモデルを、アウトモビリ ランボルギーニのヘリテージ部門「POLO STORICO(ポロ・ストーリコ)」が製法からタイヤにいたるまでオリジナルを踏襲しながら新たに製造したのが、このカウンタックLP500だ。

ポロ・ストーリコによる作業は、実に2万5000時間以上が費やされた。入手可能なあらゆる資料の精査、分析だけでも数カ月かかったという。アーカイブの調査は本体だけでなく、当時純正採用されていたピレリ製タイヤにまで及んだ。

スペースフレーム構造を採用したプロダクションモデルとは異なり、LP500はセミモノコック構造だったが、その設計、製造手順に至るまで徹底したこだわりのもとで作業は進められた。板金のプロセスでは、伝統的なイタリアの板金職人たち「バッティラストラ」たちが匠の技をぞんぶんに発揮したという。

現代によみがえった(正確には新たに生まれたのだ)LP500のボディカラーは、「Giallo Fly Speciale(ジアッロ・フライ・スペチアーレ)」と呼ばれる鮮やかなイエロー。もちろん1971年当時の正確な組成の分析をもとに、再現されたものである。履いているピレリ・チンチュラートCN12も、コンパウンドと構造こそ現代のものではあるものの、トレッドパターンやプロファイルなどはオリジナルと共通している。

ブランドの歴史と伝統を守る特別部門「POLO STORICO(ポロ・ストーリコ)」

画像: 2017年にサンタガータボロネーゼの本社一画にオープンした、ポロ・ストーリコの新たなヘリテージセンター。純正スペアパーツの所蔵率は、全パーツの65%以上を誇るという。

2017年にサンタガータボロネーゼの本社一画にオープンした、ポロ・ストーリコの新たなヘリテージセンター。純正スペアパーツの所蔵率は、全パーツの65%以上を誇るという。

2015年に発足したランボルギーニ ポロ・ストーリコは、アウトモビリ ランボルギーニの一部門である。1964年のジュネーブオートショーでブランドとして発表されて以来、2001年までに生産されたすべてのランボルギーニの修復と認証、および2018年だけで200を超える新しいコード番号が導入されたクラシックなランボルギーニのスペアパーツの再構築が、その主な活動のひとつだ。

驚くべきは、そのアーカイブの量と質。すべてのクラシック ランボルギーニ車の保存と保存をサポートするために、さまざまな資料、情報を保存および管理している。シャシ番号を調べることで、組み立てラインから出た際に塗装されたオリジナルのボディカラー、装着されたオプション、そしてそのクルマがどこの誰に納車されたか、といった重要情報をオーナーに提供できるという。

そんなポロ・ストーリコは、充実のアーカイブと卓越した技術をフルに生かして名車たちのレストア、復刻版製作に取り組んできた。ここからは、とくに注目したい希少モデルたちのそれぞれに魅力的な「復活の事情」を振り返ってみたいと覆う。

ミウラP400 S ◎シャシ#4797/1971年3月2日 納車/コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ2019に出展

画像: 透明感のある鮮やかな空色。「アズーロメキシコ」のミウラは世界で6台しか存在しないという。

透明感のある鮮やかな空色。「アズーロメキシコ」のミウラは世界で6台しか存在しないという。

ミウラP400は、1966年から1971年にかけて販売された。「S」はその高性能バージョンで、搭載された3929ccの60度V型12気筒DOHCユニットは最高出力が+20psの370ps/7500rpmに達していた。5速MTとの組み合わせで、最高速度は285km/hを謳っていた。

P400 Sシャシ番号#4797は140台生産されたもののうちの1台で、イタリアの有名なシンガー、リトル・トニー(本名アントニオ・チャッチ/1941-2013)が所有していたもの。

あでやかなメキシコの空(アズーロ)の色に由来する「アズーロメキシコ」カラーで塗装されたミウラは、世界中でわずか6台しか存在しないという。

3500 GTZ ◎シャシ#0310/1965年 ロンドン モーターショーにてお披露目/コンコルソ・デレガンツァ京都2019に出展

画像: ボディカラーだけでなく、オーナーが変わるたびにステアリング位置も右から左、そして右へと変更されたという記録が残っている。

ボディカラーだけでなく、オーナーが変わるたびにステアリング位置も右から左、そして右へと変更されたという記録が残っている。

コーチビルダーであったザガートが手掛けた、V12 DOHC搭載のFRスーパースポーツ。1965年にロンドンモーターショーに出展された直後に、顧客に納車されたモデルだ。一時は真っ赤に再塗装されていたが、改めてオリジナルに忠実な白ボディで変更されたとのこと。

3939ccの自然吸気ユニットは最高出力320psを発生。ZF製の5速MTを搭載し、最高速度は260km/hに達していた。京都のコンコルソでは、その希少性と文句のつけどころのない良好なコンディションで、「ベストオブショー」に輝いている。

エスパーダ  ◎1976年型シリーズⅢ
イスレロS  ◎1969年型/テクノクラシカ2018に出展

画像: ともに生誕50周年を祝ってポロ・ストーリコがフルレストア。手前がエスパーダ シリーズⅢ

ともに生誕50周年を祝ってポロ・ストーリコがフルレストア。手前がエスパーダ シリーズⅢ

誕生50周年を祝って、ショー展示された2台のクラシック・ランボルギーニ。どちらも1968年にデビューを果たした、V12搭載のFRグランツーリスモである。シックなブルーの3ドアクーペが「エスパーダ」、鮮やかなパリッドグリーンをまとう2ドアクーペが「イスレロ」だ。

エスパーダは1978年にかけて3つのシリーズ、計1300台が生産された。クラシックなランボルギーニの中では2番目に「売れた」モデルだという。展示車はそのうち、1976年型のシリーズIIIの5速MT仕様。最高出力350psで、最高速度は260km/hを誇った。

画像: ポロ・ストーリコの手で復活したイスレロ。今見ても、実に美しいフォルムだ。

ポロ・ストーリコの手で復活したイスレロ。今見ても、実に美しいフォルムだ。

2+2クーペのイスレロは、1970年までに220台強を生産。このうちスタンダード仕様は320psを発生していたが、展示車は1969年から導入されたスペシャル仕様だ。最高出力は350psまで引き上げられ、インテリアの設えもさらに豪華に進化していた。こちらはさらに希少な70台のみの生産となる。

ランボルギーニが認めた「血統書」、「POLO STORICO認定」がもたらす価値

画像: ポロ・ストーリコは車両本体だけでなく歴史的モデルのオリジナルマニュアル作成にも力を入れている。エッセンで開催されたイベントのブースでは、元のデザイン、印刷、製本のプロセスまで複製し印刷されたオーナーマニュアル復刻版が展示されていた。

ポロ・ストーリコは車両本体だけでなく歴史的モデルのオリジナルマニュアル作成にも力を入れている。エッセンで開催されたイベントのブースでは、元のデザイン、印刷、製本のプロセスまで複製し印刷されたオーナーマニュアル復刻版が展示されていた。

イタリア語で「歴史的中核」を意味するその名のとおり、ポロ・ストーリコの活動は、ランボルギーニというブランドが持つ信頼性、信ぴょう性を守る一面を持つ。つまりは、愛好家が求める価値の保護を支援するものだ。

とくにオリジナルコンディションを守っているクラシック・ランボルギーニについては、最終的にそれらをより価値のあるものにするための「認定書」が発行される。これには2種類あって、ランボルギーニが製造したことを証明するいわゆる「血統書」が一般的らしい。もちろん日本に現存するクラシック ランボルギーニの中にも、その認定を受けているクルマたちいる。オーナーにとってはまさに「勲章」だ。

さらに、オリジナルの状態に限りなく近い状態を保っていることを証明する、権威ある認定も行われるという。それはすなわち、コレクターズアイテムとしての価値に対するブランドの公式証明といったものなのかもしれない(文:Webモーターマガジン編集部 神原 久/写真:Automobili Lamborghini)

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