普段私たちは、屋根が開くタイプのクルマを「オープンカー」という1単語で総称しています。でもこれって実は和製英語なので、海外では通じません!また、「コンバーチブル」や「カブリオレ」といった呼び方で何が違うのでしょうか。この記事でオープンカーに興味を持って、オープンカーを買いましょう!(オープンカーはいいぞ〜)

オープンカーの歴史

人類の移動手段といえば馬や牛などの家畜に乗る、または馬車という時代が長らく続いていました。しかし、1769年に馬車を代替する目的で蒸気自動車がフランスで発明され、1886年には現在と同じガソリンエンジンで動く自動車「ベンツ パテント モトールヴァーゲン」がドイツで誕生します。

しかし、この時代の自動車は馬車のボディにエンジンを載せて自走できるようにしたタイプが多く、エンジンの性能もまだまだ低かったため「お荷物」となる屋根はつけられないという状況がしばらく続きます。たとえあったとしても、庶民の手が届かない大型の高級車にしか搭載されていませんでした。

実際、アメリカで生まれた世界初の大衆車「フォード モデルT(T型フォード)」が1908年に登場した時も、幌屋根スタイルであり「エンジン付き幌馬車」という雰囲気が漂うものでした。

ちなみに、T型フォードは効率的な大量生産方式で作られていたため、1927年に生産終了するまでの19年間のうちにどんどん生産コストが低下し続けた結果、1925年時点での発売価格(幌ありツーリング仕様)は現在の日本円にして約37万円ほどになっています。世界初の大衆車と呼ばれるのも納得の低価格ですね。

画像: 1908年登場のフォード モデルT(T型フォード)。この時代はエンジン付き馬車と言うべきスタイルで、1921年まで庶民が買えるクローズドボディ車は夢のまた夢の話でした。

1908年登場のフォード モデルT(T型フォード)。この時代はエンジン付き馬車と言うべきスタイルで、1921年まで庶民が買えるクローズドボディ車は夢のまた夢の話でした。

1921年に同じくアメリカ車の「エセックス・コーチ」が、登場すると状況は一変します。従来の「小型大衆車はオープンカー」という常識を覆し、天候に左右されないクローズドの屋根がついたセダンタイプの車を発売したことで、当時既に陳腐化し始めていた「T型フォード」から「上級志向カスタマー」の乗り換え需要を喚起することになりました。

その後は、雨の日でも快適に移動できるセダンタイプの車がトレンドとなり、第二次世界大戦後の1950年代後半までオープンカーの需要は息をひそめることに。余談ですが、セダンという名前は人間を運ぶために使っていた一人乗りの輿「セダン・チェア」からきているそうです。(日本で例えるなら、駕籠のような乗り物)

第二次世界大戦後、欧州に駐留していた米軍兵士が戦前から戦後にかけて生産されていた英国MG社製の小型・軽量スポーツカー「Tシリーズ」に魅了され、アメリカに持ち帰ったことで北米での需要が高まりました。1955年にイギリスのMGから「MGA」が、1962年にその後継車「MGB」が登場すると、史上空前のヒット車種となり、1950年代~1960年代はオープンカーの黄金時代を迎えました。同じ時期の日本では、日産の「ダットサン スポーツ DC-3」が1952年に発売され、1963年にはホンダから「S500」などが発売されています。

1970年代に入ると、衝突時の安全性や快適性に疑問符がつくようになり、2度のオイルショックによる景気減速や環境規制などで、2シーターのオープンカーは次々と姿を消していきます。そして、この暗黒時代を乗り越えた先に待っていたのは、パワーと豪華さで勝負するスポーツカーの時代であり、小型・軽量がウリの2人乗りオープンカーに出番はありませんでした。

こうして、世界で2人乗りオープンカーの人気が低迷していた1989年、マツダから「ロードスター」が発売されると、発売翌年の世界年間販売台数が10万台に迫る記録的な売れ行きとなり、現在の4代目まで続く「世界で最も多く生産された二人乗り小型オープンスポーツカー」として存続する車種となりました。

画像: 1989年に登場したマツダ 初代ロードスターによって、小型・軽量・安価な2人乗りオープンスポーツカーが現代に復活しました。ぱちくりおめめでかわいいですよね!

1989年に登場したマツダ 初代ロードスターによって、小型・軽量・安価な2人乗りオープンスポーツカーが現代に復活しました。ぱちくりおめめでかわいいですよね!

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