1970年代の後半に大ブームが起き、今もなお人々を魅了してやまないスーパーカーたち。そんな懐かしいモデルから現代のハイパースポーツまでを紹介していく、スーパーカークロニクル。今回は、BMW M1だ。

F1グランプリの前座レースでも人気を集める

画像: レースのために生まれたという背景もあるが、豪奢さを廃して機能性に徹した本来のBMWらしいコクピットとなっている。

レースのために生まれたという背景もあるが、豪奢さを廃して機能性に徹した本来のBMWらしいコクピットとなっている。

このようにプロジェクトは動き出したのだが、ランボルギーニの経営不振で作業は遅れ、結局BMWは1978年に同社との契約を解消する。替わってシャシ製造を担当したのは、ドイツ(当時は西ドイツ)のコーチビルダーであるバウアー社であった。当時のグループ4規定である「連続する24カ月間に400台の生産」という目標をクリアしたのは、1980年のことだった。

こうしてM1は1981年シーズン以降からの参戦が認められたものの、1982年からFIAの車両規定が変更され、グループC規定に移行してしまったため、M1のレース参戦計画は短命に終わってしまった。M1のグループ4仕様は自然吸気エンジンながら476psを発生していた。

BMWはホモロゲーション取得前の1979〜80年にF1グランプリの前座としてワンメイクレースを行い、F1ドライバーのニキ・ラウダやアラン・プロストなどがドライバーを務めたこともあり、大いに人気を博した。なお、ツインターボで過給し最高出力862psを想定したグループ5仕様は、ワークスとしては実現しなかった。

ただ、1981年にザウバーがグループ4仕様をベースとしてターボを装着したグループ5をメイクス選手権やドイツ国内レースで走らせている。1981年のニュルブルクリンク1000kmでは宿敵ポルシェ935を一蹴して優勝、IMSA GTOクラスでも大旋風を巻き起こしている。

WRC参戦のために作られたランチア ストラトス同様、モータースポーツ参戦車両として計画されたため、その生産台数はきわめて少なく、約3年間で500台に満たない477台。しかし、現在も「M」モデルのオリジンとして、その存在はBMWのスポーツモデルの歴史に大きな足跡を残している。

画像: 直6エンジンの後ろにデフとミッションが続くため、ホイールベースは長いが重量バランスは最適になった。

直6エンジンの後ろにデフとミッションが続くため、ホイールベースは長いが重量バランスは最適になった。

画像: amzn.to
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