美への探究から生まれた流麗なクーペスタイル
あくまでも美しいスタイリングを狙ったのがシルビアであるが、そのプロトタイプであるダットサンクーペ1500は、昭和39(1964)年9月に開催された第11回東京モーターショーでデビューしている。
当時の日本車としてはきわめてユニークな2ドア2座クーペであるが、そのスタイリングは、BMW507(2座スポーツ・カブリオレ)の流麗なデザインで知られている、アメリカのアルブレヒト・ゲルツの「アドバイス」 を積極的にとり入れてつくり上げられたものという。ただし、日産側としては、同社の若手デザイン・スタッフの作品であるとしている。
その真偽はともかく、クリスプ(明快な、簡潔な、の意味)ラインと名付けられたその鋭角的でシャープなシルエットは、宝石のカットを思わせるものがある、と高く評価されていた。もっともあまりのシャープさのため、そのボディの製作にあたってはプレスの限界を超えてしまい、日産系の非量産ボディの専門メーカーである殿内製作所(当時)が手叩きで仕上げたものである。
ベター・ルッキングに相応しい高性能ぶり
シルビアは昭和40(1965)年3月に、ニッサン・シルビアとして正式にデビューし、4月にはアメリカのニューヨーク・ショーに出品された。そしてアメリカの自動車専門誌「カー・アンド・ドライバー」はその年の7月号で、シルビアを「1965 年のベター・ルッキング・カーのひとつである」と高い評価を与えた。
もしそれが、日産のデザイン·スタッフのみの作品とすれば日本車のデザインが国際的に高く買われた最初の例ということもできる。
シルビアは最初ダットサンの名が付けられるはずだったが、「車格のイメージが大衆車のダットサンではふさわしくない」という意見が出て、ニッサンに改められたという。当時の日産がこの「ベタ ー・ルッキング・カー」にかけた期待がうかがえるエピソードである。
昭和39(1964)年から40年にかけて、日本ではスポーツタイプが相次いでデビューしている。シルビアはフェアレディ1500(SP310)の高級クーペ版といった性格をもっていたが、当時の状況を考えれば、そのベースになったのがSP310であるのは当然である。
エンジンはG型のボアを7. 2 mm拡げ、ストロークを7.2mm縮めたショートストロークのR型で(87.2 ×66.8mm)、排気量は1595ccとなっている。
吸排気マニホールドの形状を変えて吸排気の流れを改善し、ビッグエンドにF770合金を使用するなどの手を加え、圧縮比は9.0、SUキャブを2連装して最高出力は90ps/6000rpm、最大トルク13.5kgm/4000rpmを発生した。かなりの高回転タイプといってよい。