この連載では、昭和30年~55年(1955年〜1980年)までに発売され、名車と呼ばれるクルマたちを詳細に紹介しよう。その第45回目は、イタリアンデザインの「美」を存分に味わわせてくれた、いすゞ117クーペ登場だ。(現在販売中のMOOK「昭和の名車・完全版Volume.1」より)

ジウジアーロのデザインの圧倒的な美が光る
DOHCエンジン搭載による動力性能も魅力

いすゞ117クーペは、カロッツェリア・ギア社のチーフデザイナー、ジウジアーロがデザインを手がけた美しいファストバックスタイルの4シータークーペ。昭和41(1966)年3月のジュネーブショーで「ギア・いすゞ117スポルト」としてデビューしている。そのショーのコンクールデレガンスで大賞を獲得するなど、その繊細で優雅なデザインは高く評価された。

画像: 117クーペの美しいスタイリングは世界的に人気が高く、発売開始以後の10年間に1台も廃車が出なかったと言われるほど。写真は後期型となる。

117クーペの美しいスタイリングは世界的に人気が高く、発売開始以後の10年間に1台も廃車が出なかったと言われるほど。写真は後期型となる。

ただ、市販開始は約3年後の昭和43(1968)年12月となる。ちなみに「117」という車名は開発コードをそのまま使用している。このように発売まで間が空いたのは、ベースとなるシャシをベレット1600GTから新型車のフローリアンに変更したためで、フローリアンの生産準備が遅れたことによるものだ。

なお、フローリアンは昭和42(1967)年に発売されたが、同じくジウジアーロの手になるもので、 117サルーンとも呼ばれる。このフローリアンのプラットフォームに、プロトタイプと変わらぬ美しいボディが架装されて登場したのは衝撃を持って迎えられた。

その流れるようなボディラインとグラスエリアの多さを有機的に結びつけたスタイリングは、当時の国産車の中では一歩も二歩も洗練されており、比肩するクルマはなかったといえる。ただ、同じくベルトーネに在籍中のジウジアーロの手になるフィアット・ディーノの2+2クーペと多くの面で共通点が見られるのは致し方ないところだろう。

画像: 昭和 4 3 年の登場時には4気筒D OH C、15 8 4 c c、 12 0 p s のG161W 型エンジンを搭載して登場した。混合気はソレックス2器で作り出す。0 → 4 0 0 m加速16.8秒の駿足を誇った。燃料噴射は後に電子制御に。

昭和 4 3 年の登場時には4気筒D OH C、15 8 4 c c、 12 0 p s のG161W 型エンジンを搭載して登場した。混合気はソレックス2器で作り出す。0 → 4 0 0 m加速16.8秒の駿足を誇った。燃料噴射は後に電子制御に。

もちろんショーカーそのままではなく、一部生産化に向けて変更されているとはいえ、大きなグラスエリアに細いピラー、ヘアライン仕上げのドリップモール、微妙にうねるボディラインなど、当時のプレス技術では正確にデザインを再現することができず、多くの部分の生産を手作業で行っていた。そのため大量生産できず、当初は1日の生産台数は30 ~ 50台ほどにすぎなかったという。

車両価格はベレットGTの2台分にあたる172万円もしたが、その希少性がさらに117クーペの人気を高めることにもなった。

エンジンは4気筒DOHC、1584cc、120psのG161W型を搭載していた。トランスミッションはフロア式4速MTだ。これによって1トンを超えるボディを0→400m加速16.8秒で引っ張る駿足クーペであった。

サスペンションはフロントがダブルウイッシュボーン、リアがリーフリジッドとオーソドックスなものとなる。先発スポーツカーであるベレットでは賛否があったスイングアクスルは採用されなかった。ただ117クーペのリーフリジッドでは、リーフスプリングが波打つことで操縦安定性が損なわれるワインドアップ現象を抑えるためにトルクロッドを採用した。

ショックアブソーバーは日本車で初のド・カルボン式を採用している。これはいわゆる単筒式といわれるもので、オイルを大容量にできることや、冷却性にすぐれるなどのメリットがある。

画像: 高級スポーツクーペにふさわしい雰囲気のインテリア。シートはカタログ上は4人乗りだが実質2+2となっていた(運転席シートは非オリジナル)。

高級スポーツクーペにふさわしい雰囲気のインテリア。シートはカタログ上は4人乗りだが実質2+2となっていた(運転席シートは非オリジナル)。

昭和45(1970)年10月には、ECGI付き1600DOHC/130psとSUツインキャブ1800 SOHC/115psを追加、バリエーションを拡大し3モデルとなった。

希少性が存在価値を高めていた117クーぺが量産化に転換したのは昭和48(1973)年3月で、エンジンは1800のみとなり、DOHCのECGIが140ps、SUツインキャブ が125ps、SOHCはSUツインキャブの115psと2バレルシングルキャブの100psの4機種となった。

希少性は下がってしまったものの、量産化による価格の大幅ダウンで117クーぺ人気はさらに上
昇することになる。昭和49(1974)年以降は月産1000台前後となっている。

昭和53(1978)年12月には4気筒DOHC 1949cc、ECGI採用車(135ps)をはじめとする2000スターシリーズにスケールアップ。昭和56 (1981)年6月、後継となるピアッツァの登場で販売を中止したが、最後まで人気は衰えなかった。 

画像: サイドビューは非常にスマートにまとめられた。現在の目で見るともう少し大径のホイールが似合うようにも思うが、よく全体的なバランスが取れている。

サイドビューは非常にスマートにまとめられた。現在の目で見るともう少し大径のホイールが似合うようにも思うが、よく全体的なバランスが取れている。

その美しいボディと優れた動力性能のため、昭和43(1968)年から10年間に1台も廃車にされなかったという逸話を持つなど、同時代のクルマではありえない、名車中の名車として今なお愛されているクルマと言える。

EPISODE

画像: EPISODE

昭和41年3月のジュネーブショーで公開された「ギア・いすゞ117スポルト」はショーのコンクールデレガンスで大賞を獲得したほか、7月にはイタリア国際自動車デザイン・ビエンナーレで名誉賞を受賞。 10月には東京モーターショーにも展示された。スタイリングに関しては世界的に認められていたと言える。

いすゞ117クーペ(PA90型)諸元

●全長×全幅×全高:4280×1600×1320)mm
●ホイールベース:2500mm
●車両重量:1050kg
●エンジン型式・種類:G161W型・直4DOHC
●排気量:1584cc
●最高出力:120ps/6400rpm
●最大トルク:14.5kgm/5000rpm
●トランスミッション:4速MT
●タイヤサイズ:6.45H-14-4PR
●新車価格:172万円

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