ホンダの聖地のひとつ、ホンダコレクションホールが3月1日にリニューアルオープンした。その見どころを、6回に分けてお伝えする。パート4は3階の南フロアの展示内容について。デザイン性、実用性の新たな提案とともに「乗る人の夢を叶える」ためのスポーツカー開発に取り組んだ時代を、レポートする。

「生活を創造する」移動車両の新提案。そしてタイプRが・・・

ホンダの新たな展開を見せるのが次の一画、“クリエイティブムーバー”だ。

画像: 空前のRVブームに沸いていた90年代初頭の日本にあってホンダは、新しいファミリーカーの形を提案する「クリエイティブムーバー」を生み出した。低床設計など、驚くほど広く快適な室内空間は、さまざまな「カタチ」でその支持層を拡げていく。

空前のRVブームに沸いていた90年代初頭の日本にあってホンダは、新しいファミリーカーの形を提案する「クリエイティブムーバー」を生み出した。低床設計など、驚くほど広く快適な室内空間は、さまざまな「カタチ」でその支持層を拡げていく。

94年登場のオデッセイはホンダ車として初の多人数乗車モデルとして、95年のCR-Vは初のクロカン4WDとして、96年のステップワゴンは初のミニバンとして相次いでリリース。ホンダ車に新たな地平を拓いたモデルたちである。

ホンダスポーツとしての極みが90年代後半に相次ぐ。それは出口近くに並ぶ。

まずは95年のインテグラ・タイプR。入念に組まれた1.8Lは200psを発揮し40kgの軽量化や専用サスペンションでスポーツカーに仕立てていた。この手法は97年のシビック・タイプRにも1.6Lで185psというスペックで受け継がれる。

画像: インテグラ タイプR(1995年式)。「タイプR」の称号を、ライトウェイトクラスにも展開拡大。ホンダにとって伝統とも言える「FFスポーツ」としての理想を追求していく。

インテグラ タイプR(1995年式)。「タイプR」の称号を、ライトウェイトクラスにも展開拡大。ホンダにとって伝統とも言える「FFスポーツ」としての理想を追求していく。

画像: シビック タイプR(1997年式)。ホンダを代表するファミリーハッチバックにも、タイプRが設定された。NAエンジンながらパワーはリッターあたり116psに達し、低重心化やボディ剛性の向上などこだわりの純正チューニングが施されていた。

シビック タイプR(1997年式)。ホンダを代表するファミリーハッチバックにも、タイプRが設定された。NAエンジンながらパワーはリッターあたり116psに達し、低重心化やボディ剛性の向上などこだわりの純正チューニングが施されていた。

画像: 1999年にデビューしたS2000。ホンダファン待望のFR2シータースポーツは、1970年まで販売されたホンダS800以来のものだった。パワートレーンは2Lの直4DOHC VTECのF20C型で、1Lあたり125psというレーシングエンジン並みの性能を発生していた。

1999年にデビューしたS2000。ホンダファン待望のFR2シータースポーツは、1970年まで販売されたホンダS800以来のものだった。パワートレーンは2Lの直4DOHC VTECのF20C型で、1Lあたり125psというレーシングエンジン並みの性能を発生していた。

そして真打、99年登場のS2000である。かつてのSシリーズ以来のFRオープン2シーター、2Lで250psのパワーを6MTで引き出す醍醐味はホンダファンを大いに魅了した。

バイクは「レースを公道へ」で一世を風靡したNSR250、スーパースポーツのCBR900RR、長円形ピストン採用のV4マシンNR500、ビッグバイクのCB1000フォアと高性能マシンが揃う。加えてスクータータイプのPS250や、スタイリッシュな原付のソロなど身近なモデルも顔を揃えている。

バブル経済を挟んだ80~90年代はホンダにとっては新たな価値観を求めた時代でもあった。50周年記念で生まれたS2000はひとつの区切りだったのかもしれない。(文:河原良雄/写真:伊藤嘉啓/写真解説:Webモーターマガジン編集部)

画像: 独創的な楕円ピストンを採用した4ストロークV型4気筒エンジンで、2ストロークレーシングマシンに挑戦した「NR500」の市販モデルが「NR」(1992年型)。炭素繊維強化樹脂のボディカウルなど、軽量化も徹底されていた。

独創的な楕円ピストンを採用した4ストロークV型4気筒エンジンで、2ストロークレーシングマシンに挑戦した「NR500」の市販モデルが「NR」(1992年型)。炭素繊維強化樹脂のボディカウルなど、軽量化も徹底されていた。

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