個性的なデザインを追求しながら「スポーツ」にも新機軸

「信頼性の極限」を象徴するモデルとして、真っ先に登場するのが初代レジェンド(写真は1985年式)だ。ホンダが謳う「初めてのフラッグシップ」に、国産車初のエアバッグシステムを搭載された。
第3幕は1985年に登場したホンダ初のフラッグシップたるレジェンドから始まる。
直4エンジンのみだったホンダが高級車へのステップとしてV6をチョイス。背景にはイギリスのBL(ブリティッシュレイランド)との提携に加え、アメリカでのアキュラブランドでの展開があった。このV6がその後のホンダをリードすることとなる。
次の展示は85年登場のアコードだ。リトラクタブルヘッドライトを採用してスポーティに仕立てていた。

3代目のアコードに設定された「エアロデッキ」は、ワゴンとは思えない端麗なスタイリングを実現していた。
ロングルーフでリアハッチを備えたシューティングブレーク風のエアロデッキともども個性が光っていた。アコードはアメリカのオハイオ工場でも生産され現地でも大人気となり、その後もクラスリーダーたり続けている。
そして90年にスーパーカー然としたNSXが現れる。ここで「開放するスポーツ」と謳うように、ホンダは誰もが乗れる快適な高性能車を作り上げた。

手前は1992年式のNSX-R。ただでさえ軽量なNSXをさらに徹底的に軽量化を進め、「軽さ」がどれほど走行性能に影響を与えるか・・・を追求した。まさに「ピュアスポーツ」の魂が息づく。
トランクやATの設定がそれを物語る。オールアルミボディの採用や、92年に追加されたタイプRなど話題に事欠かなかった。
そばにはNSXのGT仕様とグループA仕様シビックが並び、サーキットとイメージをオーバーラップさせている。そこには「夢を叶える」と記されていた。

ピュアスポーツカーであるNSXによるル・マン24時間レースへの挑戦は、市販モデルのオーナーが自分の愛車が「世界最高のスポーツカーである」ことを証明する「夢」に挑む戦いでもあった。