この連載では、昭和30年~55年(1955年〜1980年)までに発売され、名車と呼ばれるクルマたちを詳細に紹介しよう。その第61回目は、スペシャリティカーの魅力を日本に知らしめたトヨタ セリカ1600GTの登場だ。(現在販売中のMOOK「昭和の名車・完全版Volume.1」より)

優れた空力と合わせて最高速度は190km/h
モータースポーツでもその速さを見せつける

2T-Gに組み合わされるギアボックスも5速MTのみで、最高速は190km/hというスポーツカー並みの性能を発揮していた。パワーウインドウや合わせガラスも標準で装備されている。

画像: シートも1600GTもブラックレザーのバケットタイプとなる。着座位置は低くスポーツカー的。シフトレバーは長いが、シフトフィールはカチッカチッと決まるものだった。

シートも1600GTもブラックレザーのバケットタイプとなる。着座位置は低くスポーツカー的。シフトレバーは長いが、シフトフィールはカチッカチッと決まるものだった。

セリカ1600GTVは昭和47年(1972年)8月に追加設定された「走り」のモデルとなる。パワーウインドウやAM/FMラジオなどを取り外して装備の簡素化を図り、代わりに専用のハードサスペンションや185/70HR13のワイドラジアルなどで足回りを強化した、走りに徹したマシンだった。

ちなみに1600GTVの「V」はビクトリー(勝利)の頭文字から取ったという「勝つため」のマシンでもあった。ただし搭載する2T-G型DOHCはGTと同じで、最高速の190km/hも変わらない。以降、トヨタのモータースポーツベースとなるグレードにはたびたびGTVの称号が付けられることになる。

セリカのレース活動も、GTV登場前の昭和46年後半あたりから開始されていた。その一部を紹介すると、昭和46(1971)年11月のオールスター・レース、翌47年3月の全日本鈴鹿自動車レース、同じくグランドチャンピオンシリーズ第1戦で、セリカ1600GTはそれぞれクラス優勝している。

また、同年4月のレース・ド・ニッポン、5月の日本GPツーリングカーレースと鈴鹿1000kmレース大会、7月のオールスター・レース、 11月のツーリスト・トロフィー・レースでいずれも総合優勝と、めざましいものだった。

画像: バンパー一体でデザインしたフロントビューが特徴的だ。

バンパー一体でデザインしたフロントビューが特徴的だ。

海外でも、昭和47年、48年のRACラリーで連続クラス優勝を飾ったのをはじめ、49年の南アフリカ・トータルラリーの総合優勝、ニュルブルクリンク・ツーリングGPでクラス優勝、49年、50年のマカオGPの連続総合優勝、50年のスパ・フランコルシャン24時間のクラス優勝など、レースはもとよりラリーでも輝かしい戦績を残している。公にはスペシャリティカーといいつつも、そのスポーツマインドは非常に強いものがあったのだ。

昭和48(1973)年4月にはLB(リフトバック)シリーズの追加設定で、ラインナップがさらに充実している。これは昭和46(1971)年秋のモーターショーに参考出品されたコンセプトカー、「トヨタSV-1」のプロダクションモデルた。

リアビューを米国のフォード マスタングを思わせるスポーティなデザインとしたのが特徴で、ファストバックの後端をヒップアップさせて、リアエンドに5分割のコンビネーションランプを組み込んでいる。

セリカLB1600GTも登場しているが、排出ガス規制の強化で、50年11月から、2T-GR型(レギュラー仕様)はしばらく生産中止という憂き目に遭い、1600GTはスペシャリティカーという新たなジャンルを開拓しながらも、一時姿を消している。

画像: 1600STのリアビュー。リアもバンパー一体のデザインが印象的。シンプルさとファッショナブルを両立しているイメージとなっている。

1600STのリアビュー。リアもバンパー一体のデザインが印象的。シンプルさとファッショナブルを両立しているイメージとなっている。

その後、昭和51(1976)年にマークⅡ GSSに搭載されていた2000cc直4DOHCの18R-G型エンジンを搭載したセリカLB2000GTが昭和51年度排出ガス規制に適合車となっている(発売は昭和49)が、そちらは頁を改めて解説しよう。

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