ポルシェにとって「Turbo(ターボ)」という名称は、もはや単に機械的な意味を示すだけではありません。現在ではトップエンドに位置するスペシャルな存在を意味しています。その登場50周年を祝う特別なイベントに参加した自動車評論家 島下泰久氏は、どんな感慨を覚えたのでしょうか。(MotorMagazine 2024年9月号より再構成)

ル・マン史上初めてのターボウイナーとなった「936スパイダー」

1976年、ターボで過給された6気筒ボクサーエンジン搭載マシンが、ル・マン24時間でターボエンジンとして初の総合優勝を達成しました。

画像: 936スパイダー(20号車)が参戦したのはグループ6。最大のライバルは、ルノー・アルピーヌ・A442ターボだった。

936スパイダー(20号車)が参戦したのはグループ6。最大のライバルは、ルノー・アルピーヌ・A442ターボだった。

マルティーニレーシング・ポルシェ・システムが投入した936/76は、スポーツカー世界選手権のために開発されたスパイダーです。空冷2.1Lエンジンにインタークーラー付きターボチャージャーを備え、382kW(520p)を発生していました。

軽量高剛性のアルミニウム製スペースフレーム・シャシーとエアロダイナミック性能に長けたプラスティック製ボディを採用。重量はわずか700kg、最高速度は360km/hに達していたといいます。

ジャッキー・イクス / ジィズ・ファン・レネップ組はこの936スパイダーを駆って完璧なレース展開を見せ、みごと総合優勝を飾ったのでした。

936スパイダーは、翌年にはツインターボテクノロジーにより最高出力540ps、まで引き上げ、エンジンのドライバビリティを大幅に向上。ジャッ キー・イクス、ユルゲン・バルト、そしてハーレイ・ヘイウッドらが 6 台のルノー・ワークス勢を見事に抑えて優勝しています。

この後、さらに水冷化、4バルブ化、排気量をアップするなどの改良を経て、1981年に三度、ル・マンで総合優勝を飾ります。この時、最高出力は620psに達していました。

そんな深いご縁のあるル・マン24時間レース観戦から、自動車評論家 島下泰久氏の「特別な50周年体験」が始まります。(ここまでWebモーターマガジン編集部)

19勝のうち17勝はターボエンジンで成し遂げられた

最高峰のハイパーカークラスに実に23台ものマシンがエントリーした、2024年の第92回ル・マン24時間レースは凄まじい盛り上がりを見せた。

画像: 2024年のル・マン24時間レースは、昨年にも増して激戦だった。復帰2年目となるポルシェの総合優勝が期待されたが、結果はフェラーリが1位と3位、トヨタが2位、そしてポルシェペンスキーモータースポーツの6号車が4位となった。

2024年のル・マン24時間レースは、昨年にも増して激戦だった。復帰2年目となるポルシェの総合優勝が期待されたが、結果はフェラーリが1位と3位、トヨタが2位、そしてポルシェペンスキーモータースポーツの6号車が4位となった。

単に台数が多かったからではない。最終的に9位までの4メーカーのマシンが同一周回で争う激しいバトルは、耐久というより24時間のスプリント。比喩ではなく本当に、最後の最後まで目の離せないレースとなった。

今年の勝者は2年連続優勝となったフェラーリ。2位にはわずか14秒差でトヨタが入ったが、下馬評では今年、優勝にもっとも近いのはポルシェだった。

WEC(世界耐久選手権)では、第1戦でワークスの「ポルシェ・チーム・ペンスキー」が勝利しただけでなく、第3戦をカスタマーのチーム「JOTA」が制するなど絶好調。そして実際に予選では、ケビン・エストレ選手が素晴らしいアタックを決めてポールポジションを獲得していたから、復帰2年目のポルシェの年になるかと思われたのだが、結果は4位が最上位。表彰台にも手が届かなかったのだった。

実際、予選の後にもドライバー達は決して楽観的ではなかった。コーナリングで強さを見せる一方で直線スピードで見劣りする963は、直線が長く速度域も高いサルテサーキットでは、競り合いも考慮すれば決して最速ではないというわけで、実際にその懸念が的中してしまったのだ。

ポルシェはこれまでル・マンで19回の総合優勝を果たしている。つまり、今年優勝できていたならば記念すべき20勝目だったことになる。そして、これは意外に感じられたのだが、今までの19
勝のうち17勝はターボエンジンで成し遂げられたのだという。

確かに、自然吸気エンジンが使われたのは最初の2勝を挙げた917のフラット12だけだった。その意味で言えば、ポルシェの栄光の歴史はターボエンジンによって形作られてきたと言っても過言ではない。

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