スーパーカーブームの脇を固めた名車があった
ランチア ストラトス(1974年)「世界ラリー選手権を制覇するために作られたマシン」
ランチア ストラトスは、「パーパス・ビルト・カー」と呼ばれる。それはラリーに勝つことを目的(パーパス)に開発されたクルマだからだ。
この企画の仕掛け人のひとりが、ランチアのラリーチームのボスであったチェザーレ・フィオリオで、情熱家でも有名で、常識にとらわれない「俺流」を押し通しラリー必勝マシンが実現した。
ディーノ246GTの2418ccV6DOHCエンジンをミッドに搭載。全幅が1750mmもありながら、ホイールベースがわずか2180mmと短いのは、ラリーでの旋回性能を考えた結果だ。それが功を奏してラリーでは見事に世界タイトルを1974年から3年連続で獲得した。
日本では「サーキットの狼」で主人公がグループ5レース仕様に乗ったこともあり人気が高い一台だ。
デ・トマソ パンテーラ(1971~1992年)「アメリカンV8をミッドに搭載したマッスルカー」
フェラーリ、ランボルギーニに劣らずスーパーカーに情熱を捧げたメーカーが「デ・トマソ」だ。1971年にそのデ・トマソがアメリカのフォードと手を組み開発したのがパンテーラ。大量生産でコストダウンを狙ったスーパーカーというコンセプトは世界初でもある。車名はイタリア語のヒョウに由来する。
ランボルギーニから移籍したジャンパオロ・ダラーラが設計した基本骨格は、当時はまだ鋼管スペースやバックボーンフレームが主流だったスーパーカーの中では異例とも言えるモノコック構造で、エンジンは「クリーブランド」の愛称を持つフォード製5.8LOHVをミッドシップ搭載している。最高出力300psを5400rpmで発生する実用性の高さも好評だった。
1973年にはハイパフォーマンスモデルのGTSが追加された。350ps/50.1kgmまでチューニングされ、最高速は280km/hに達した。
さらにパンテーラは第一次スーパーカーブームが去った後も生きながらえ、第二次スーパーカー黄金期となった1990年のトリノ モーターショーでビッグマイナーチェンジされたモデルも登場している。