伝説として始まり、革新へと至ったスーパーカーたち。1970年代の懐かしいモデルから現代のハイパースポーツまで紹介していこう。今回は、BMW M1だ。

BMW M1(BMW M1:1978〜1982)

画像: 研ぎ澄まされたボディスタイルはイタルデザインによるもの。ボディ素材はFRPで、角形鋼管のフレーム上に架装される。

研ぎ澄まされたボディスタイルはイタルデザインによるもの。ボディ素材はFRPで、角形鋼管のフレーム上に架装される。

1976年当時、グループ4/5規定のレースでポルシェ 934/935は圧倒的な強さを見せ、BMWは苦戦を強いられていた。M1はその独走を阻止すべく開発されたモデルで、レーシングカーを作る計画の結果として生まれたスーパーカーといえるだろう。

エンジンは、当初は4.5LのV12エンジンを搭載する計画もあったようだが、当時の欧州ツーリングカー選手権(ETC)でグループ5のBMW 3.0CSLが使用していた「ビッグシックス」こと3.5Lの直6DOHC(M88)をさらに低重心化するなどして、コクピットの後ろに搭載することとなった。

M1はBMW初のミッドシップ市販車になるため、シャシの製作はミッドシップを作り慣れているランボルギーニに委託し、ダラーラ・アウトモビリの創設者であるジャンパオロ・ダラーラが担当することになった。ウエッジシェイプのFRPボディは、ジョルジェット・ジウジアーロが率いるイタルデザインによるものだ。BMWのシンボルであるキドニーグリルにリトラクタブルヘッドランプとしたフロントマスクは精悍そのもので、リアのエンジンフード部のルーバーとともに、走りへの期待を高めるものとなった。

画像: M88と名付けられたエンジンは、3.0CSL用のM49/4型がベース。ドライサンプ式のオイルパンまわりを新設計している。

M88と名付けられたエンジンは、3.0CSL用のM49/4型がベース。ドライサンプ式のオイルパンまわりを新設計している。

こうしてプロジェクトは動き出したのだが、ランボルギーニの経営不振で作業は遅れ、結局BMWは1978年に同社との契約を解消する。替わってシャシ製造を担当したのは、ドイツ(当時は西ドイツ)のコーチビルダー、バウアー社だった。当時のグループ4規定である「連続する24カ月間に400台の生産」という目標をクリアしたのは、1980年のことだった。ようやくM1は1981年シーズン以降からの参戦が認められたものの、1982年からFIAの車両規定が変更されてグループC規定に移行してしまったため、M1のレース参戦計画は短命に終わってしまった。それでもM1のグループ4仕様は自然吸気エンジンながら476psを発生していた。

そこでBMWはF1グランプリの前座としてホモロゲーション取得前の1979 〜80年にワンメークレース(プロカーシリーズ)を行い、ニキ・ラウダやアラン・プロストなどF1ドライバーが前座レースを行ったことで大いに人気を博した。なおツインターボで過給し最高出力862psを想定したグループ5仕様は、ワークスとしては実現しなかった。ただ、1981年にザウバーがグループ4仕様をベースとしてターボを装着したグループ5をメイクス選手権やドイツ国内レースで走らせている。1981年のニュルブルクリンク1000kmでは宿敵ポルシェ935を一蹴して優勝、IMSA GTOクラスでも大旋風を巻き起こしている。

モータースポーツ参戦車両として計画されたため、WRC参戦のために作られたランチア ストラトス同様、その生産台数はきわめて少なく、500台に満たない477台。しかし、現在も「M」モデルのオリジンとして、その存在はBMWのスポーツモデルの歴史に大きな足跡を残している。

画像: レースのために生まれた背景もあるが、本来のBMWらしい機能性に徹したコクピットがM1の特徴だ。

レースのために生まれた背景もあるが、本来のBMWらしい機能性に徹したコクピットがM1の特徴だ。

BMW M1 主要諸元

●全長×全幅×全高:4360×1824×1140mm
●ホイールベース:2560mm
●車両重量:1300kg
●エンジン種類:直6 DOHC
●総排気量:3453cc
●最高出力:277ps/6500rpm
●最大トルク:33.7kgm/5000rpm
●燃料・タンク容量:無鉛プレミアム・58L×2
●トランスミッション:5速MT
●駆動方式:縦置きミッドシップRWD
●タイヤサイズ:前205/55VR16、後225/50VR16

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