モーターマガジンムック「ランサーエボリューションChronicle」が8月28日からモーターマガジン社より発売中だ。ハイパワー4WD車の代表として多くのファンから支持されてきたランサーエボリューション。その変遷を詳細に解説した内容が好評を博している。ここでは、同誌の内容の抜粋をお届けする。まずはその前段として、ランエボ登場以前の三菱のモータースポーツ活動について複数回に分けてお届けしよう。今回はスタリオン4WDラリーの開発からギャランVR-4の活躍までだ。

フルタイム4WDターボというハイテクを備えたギャランVR-4の登場

時代は確実に4WDが主流となっていた。FRのスタリオンでは限界がある。ここで三菱自動車にとってひとつの転機が訪れる。それは当時のミラージュの開発者の発案だった。先にも触れたミラージュの横置きエンジンのFFをベースにして4WD車を作るという発想だ。パートタイム4WDを別にすれば、高性能4WDといえば、縦置きエン ジンが主流であった。しかも、これからの乗用車用の4WDは必ずセンターデフがいる。2WDから4WDで手動で切り替えるのではなく、センターデフを使ったフルタイム4WDで、センターデフにビスカスLSDを入れてやればいいという発想もすでにあった。

そこで生まれたのがギャランVR-4だ。ミラージュは3軸式のトランスミッションを採用していた。というのはFRのランサー用パワーユニットを流用して横置きにしたためだ。つまり、トランスミッションのメインシャフトとカウンターシャフトに加えてもう一軸あるわけで、エンジンの回転方向を反転させるためだ。エンジン回転方向が逆ならば2軸で済むので不合理な面もあった。ただこれが4WDにするにはメリットになった。つまり3軸目にセンターデフを取り付け、そこからフロントデフとリアに駆動を配分するトランスファーをつなげれば成立するからだ。

画像: ギャランVR-4は4G63型直4DOHCターボとフルタイム4WDをいうメカニズムでWRCに強い存在感を示した。

ギャランVR-4は4G63型直4DOHCターボとフルタイム4WDをいうメカニズムでWRCに強い存在感を示した。

その発想で登場したギャランVR-4はグループAでトップグループを走るのにマッチングした。2L直列4気筒DOHC16バルブの4G63型パワーユニットにインタークーラーターボを装着し、当時の市販車では、異例ともいえた205psのハイパワーもWRCにはうってつけだった。4WDシステムも、それまでのトランスファーでFFと4WDを切り替えるパートタイム4WD方式(スバルレオーネなどが採用)、あるいはセンターデフをフリーかロックかの選択しかできないフルタイム4WD方式(マツダファミリア4WDが採用)ではなく、センターデフにビスカスLSDを装着し、より利便性を高めたのも効果的だった。

ギャランVR-4は1988年のニュージーランドラリーに篠塚建次郎の手によりデビューし、11月のRACラリーで、三菱自動車にとっては1983年以来となるWRCのヨーロッパイベント復帰を飾った。その後もWRCとAPRC(アジア・パシフィックラリー選手権)に出場、APRCの初年度となったこの1988年には、篠塚建次郎のチャンピオン獲得の原動力となった。

日本人ドライバーによるWRC初優勝に大きく貢献

画像: 1990年モンテカルロラリーでスタートするVR-4。この時、成績は18位と振るわなかったが、確実に力を付けていった。

1990年モンテカルロラリーでスタートするVR-4。この時、成績は18位と振るわなかったが、確実に力を付けていった。

1989年にはアクロポリスラリーにおいて総合4位でWRCポイントを初獲得し、1000湖ラリーではミカエル・エリクソンが1976年サファリラリー以来のWRC優勝を三菱にもたらした。この1000湖ラリーに勝って、初めて三菱車がWRCで通用すると、ヨーロッパのファンに印象付けたといえるだろう。その後もRACラリーでP・アイリッカラが優勝し、この年は2勝した。

1990年は優勝こそなかったものの、2戦で2位入賞、マニュファクチャラーズ・ランキングで3位に入った。この年はプライベート勢の活躍も目立ち、コートジボワールラリー(旧称:バンダマラリー)でパトリック・トジャックが優勝し、その基本性能の高さを実証した。1991年6月からはマイナーチェンジした市販モデルをベースとするグループAギャランのエボリューションモデルを投入。2年連続でマニュファクチャラーズ選手権3位となった。同年10月のコートジボワールラリーでは、篠塚建次郎が日本人ドライバーによるWRC初優勝を達成している。

国内のモータースポーツでも、ラリー、ダートトライアルでギャランVR-4は大きな支持を得た。ライバルとしては日産ブルーバードSSS-R、スバルレガシィRSがあったが、プライベーターの支持率はギャランVR-4が一番だった。その理由は信頼性の高さと、低回転域からトルクフルな4G63型パワーユニットの力だ。ブルーバードやレガシィが、メーカーの息がかかったチームのクルマしか優勝争いに加われなかったのに比べて、ギャランVR-4はひととおりのパーツを組めば、プライベーターでも勝負のできるクルマになるという面が大きかった。

画像: 1991年のスウェーデンラリー。スノーラリーとして有名だ。ケネス・エリクソンのドライビングで優勝した。

1991年のスウェーデンラリー。スノーラリーとして有名だ。ケネス・エリクソンのドライビングで優勝した。

一方、一定の成果を収めたが、限界を感じていた面もあったという。WRCを戦うにあたってグループAというのは、あくまでも市販車がベースとなる。だから、戦闘力を上げるにも限界がある。大幅に向上させるにはモデルチェンジする以外に手がない。グループAして戦っているときにも、トップグループでいい勝負はするが、圧勝まではいかない。逆に参戦を続けているうちにデビュー当時の輝きを失ってきたのも事実。

グループAのギャランでいつまでもラリーに出場するのは、ワークスチームでも中古車を走らせているような気持ちになっていったという。それを解決するにはギャランVR-4の二代目、三代目をつくらなければならない。ところがギャランVR-4は、WRC制覇を目指すにはサイズが大きく戦闘力を上げることが難しかった。そのときに当時の関係者の記憶に甦ったのが、初代ランサーの活躍したイメージだったという。ギャランからコンパクトなランサーに高性能エンジンを搭載することにより連戦連勝を果たした成功体験だ。グループAで戦いながら戦闘力の向上を図るにはどうするか、そこにランサーエボリューションが誕生するきっかけがあったのだ。

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