モーターマガジンムック「ランサーエボリューションChronicle」が8月28日からモーターマガジン社より発売中だ。ハイパワー4WD車の代表として多くのファンから支持されてきたランサーエボリューション。その変遷を詳細に解説した内容が好評を博している。ここでは、同誌の内容の抜粋をお届けする。まずはその前段として、ランエボ登場以前の三菱のモータースポーツ活動について複数回に分けてお届けしよう。今回はスタリオン4WDラリーの開発からギャランVR-4の活躍までだ。

幻のグループBカー、スタリオン4WDラリーの開発

ランサーEX2000ターボは1983年の1000湖ラリー出場を最後にWRCから撤退し、三菱は4WDマシンの開発に目を向けた。1980年代前半にラリー界は、アウディクワトロの持ち込んだターボエンジンと4WDにより、それまでの様相が一変された。すでにランサーEX2000ターボでターボエンジンを導入していた三菱自動車は、4WDの必要性を認識し、次期マシンとして年間200台以上生産される市販車をベースとするグループB「スタリオン4WDラリー」開発に着手した。

FIAホモロゲーションの獲得には少量生産で済むため、三菱自動車を含めた有力メーカーは、当時の持てる技術の粋を注ぎ込んだモンスターマシンをラリーに投入した。そのような状況で、グループBも開発競争がエスカレートし、ランチアデルタS4、プジョー205T16、アウディスポーツクワトロ、フォードRS200などが続々とWRCに投入された。

画像: 1984年はスタリオン4WDの開発が進められた。写真はミルピストラリーでのプロトタイプクラス優勝時。ドライバーはラッセ・ランピ。

1984年はスタリオン4WDの開発が進められた。写真はミルピストラリーでのプロトタイプクラス優勝時。ドライバーはラッセ・ランピ。

スタリオン4WDラリーはスタリオンのボディを改造し、フルタイム4WD機構を備えていた。WRC投入は当初、1984年秋に予定していたが、開発スケジュールの遅延によりホモロゲーションを取得できず、同年に出場できたのは、テストを兼ねて参戦したミル・ピストラリー(フランス選手権)とRACラリーの特設クラスの2戦に限られた。デビューイベントでクラス優勝を果たしたスタリオン4WDラリーのポテンシャルに、多くの期待が集まった。

画像: グループAではまずスタリオンを投入した。写真は1000湖ラリーでのもの。ドライバーはR.ビルタネン。

グループAではまずスタリオンを投入した。写真は1000湖ラリーでのもの。ドライバーはR.ビルタネン。

しかし、その期待も束の間、スタリオン4WDは販路の問題やFIAレギュレーションの度重なる変更によりWRC出場計画を断念せざるを得なかった。と同時にグループB時代が終りを告げたのだ。モンスターマシンの開発が各メーカー間で加熱し、プジョー205T16でアリ・バタネンが瀕死の重傷を負い、ランチアデルタS4のヘンリ・トイボネンらの死亡事故などが相次いだためだ。

1987年、WRCの車両レギュレーションがグループBから年12ヶ月間で5000台以上生産される市販車をベースとするグループAへと移行した。それに伴い三菱自動車はグループAのスタリオンを開発したが、WRCではなく中近東選手権に挑戦。2WDのスタリオンは、グループAクラス3連勝を記録するなどの活躍で、その年のグループAチャンピオンに輝いた。また、同モデルは中近東以外にもアジア・パシフィックラリー選手権や英国選手権など各地で活躍した。

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