街道レーサーのルーツになったとも言われている、ツーリングカーレースに参戦していたマシンたち。クルマ好きは、これらを「ハコ」と呼んで愛した。連載第7回で紹介するのは、16バルブDOHCを積んだ「KP47型パブリカ・スターレット」だ。
市販車には存在しなかった16バルブDOHC
カローラが世に出る前、1961年に誕生したトヨタ初の大衆車がパブリカ。1969年に2代目にフルモデルチェンジし、1973年にパブリカのスポーティな上級シリーズとして「パブリカ・スターレット」がデビューした。
パブリカ・スターレットはスポーティさをウリにするため、当時人気の高かったマイナーツーリングレースに打って出る。市販車に搭載されていたOHVの3K型エンジンをベースに、ボアを4mm広げて79.0mmとし、ストロークは66.0mmのままで排気量を1166ccから1293ccにアップ。
そのブロックにヤマハ発動機が専用開発した4バルブDOHCヘッドを載せた3K-R(137Eとも呼ばれる)エンジンで必勝を期したのだ。
日本電装製のインジェクションやドライサンプ方式、そして各部にマグネシウム素材も採用した。これらのパーツは、当時は50台生産すればオプション部品として公認されたのだった。
当初の最高出力は180馬力だが、のちに205馬力までパワーアップした。このDOHCスターレットはトヨタワークスの再来といえ、1973年11月の富士ビクトリー200kmレースに参戦。3位以下に20秒以上もの大差をつけて1-2フィニッシュを遂げたのだった。