![画像: 現在のボルボはエクステリアも洗練されたものとなったが、70年代から90年代初頭までのボルボは、ただの四角いセダン。それが当時のライバルであるBMW635CSiやジャガーXJSを圧倒した。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/07/30/49a0e2f13aa5ca322a3dfcd67148a67be3f5fe47_xlarge.jpg)
現在のボルボはエクステリアも洗練されたものとなったが、70年代から90年代初頭までのボルボは、ただの四角いセダン。それが当時のライバルであるBMW635CSiやジャガーXJSを圧倒した。
グループAレースは「Flying Brick(空とぶレンガ)」伝説から始まった
1985年、富士スピードウェイで開催された「1985インターTEC(国際ツーリングカー耐久レース)」でワン・ツーフィニッシュを飾ったのが今回紹介するボルボ240ターボだ。「空飛ぶレンガ」と揶揄?されたほど無骨なセダンで、正直言って少しも速そうに見えない。ノーマル車のパワースペックと動力性能は、B21ET型の2.1L 直4 SOHCエンジンから155psを発生。0→100km/hを9秒、最高速度は195km/hというものだ。
![画像: 1985年、富士スピードウェイでのワンカット。レーシングカーを思わせるのは、リアウイングと室内のロールケージのみだ。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/07/30/b4cc49438fd89debe9311dcfcdd5369842f54387_xlarge.jpg)
1985年、富士スピードウェイでのワンカット。レーシングカーを思わせるのは、リアウイングと室内のロールケージのみだ。
グループAレース仕様では、1983年に連続した12カ月に5000台以上を生産するという規定をクリアした上で、そのスポーツエボリューションとして500台追加製造された240ターボエボリューションがベースとなった。エンジン型式はノーマルと同じだが、アルミ合金シリンダーヘッド、鍛造のピストン、コンロッド、クランクシャフトを使用など中身は別物だ。
![画像: 搭載されたエンジンは2.1LSOHCユニット。それの内部を鍛造パーツで強化し、ギャレット製ターボタージャーで過給。インタークーラーにはウオーター・インジェクションが装備され吸気効率を上げていた。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/07/30/3a9412d49be65d2f976bbabc6519b65487ed6daa_xlarge.jpg)
搭載されたエンジンは2.1LSOHCユニット。それの内部を鍛造パーツで強化し、ギャレット製ターボタージャーで過給。インタークーラーにはウオーター・インジェクションが装備され吸気効率を上げていた。
燃料噴射装置は特製のボッシュのKジェトロニック(機械式インジェクション)を採用。ギャレット・エアリサーチ製ターボにインタークーラー、特製ウオーターインジェクションも装備した。公称動力性能は300〜340ps/40kgm。軽量化がボンネットやドアはもちろんのこと、リアアクスルでも6kg削減。ブレーキシステムは4ポットキャリパーにベンチレーテッドディスクの組み合わせとしていた。
![画像: ドライバーの正面にはタコメーターが来る。スパイ針が7000rpmで止まっており許容回転数を示している。左下の白いメーターはブースト計のもの。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/07/30/dc3675f48c079f27b107ed454108d62cb35f6c1d_xlarge.jpg)
ドライバーの正面にはタコメーターが来る。スパイ針が7000rpmで止まっており許容回転数を示している。左下の白いメーターはブースト計のもの。
欧州では1984年からボルボ240ターボの活躍が始まる。その年のETC(ヨーロッパツーリングカー選手権)とDTM(ドイツツーリングカー選手権)で1勝ずつの計2勝を上げると、翌1985年には2つのチームとファクトリーチーム契約する。
ひとつはスイスのエッゲンバーガー・モータースポーツチームで、ボルボディーラーチームヨーロッパとしてETCに参加した。ドライバーは、T・リンドストロム、S・ミュラー・ジュニア、G・ブランカテリ、P・ドュドネ。もうひとつのチームはスウェーデンのマグナムレーシングで、ドライバーはU・グランベルグ、A・オロフソン、I・カールソン。さらにDTMにはIPSモータースポーツが参戦した。
![画像: インターTECでは巧みなピットワークも国内勢を刮目させた。タイヤ4本交換、120Lのガソリン給油を30秒でやってのけた。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/07/30/f2d595de58ab4bedfb8d0ac1f01cb44410ca778c_xlarge.jpg)
インターTECでは巧みなピットワークも国内勢を刮目させた。タイヤ4本交換、120Lのガソリン給油を30秒でやってのけた。
1985年のETCでボルボ240ターボは14レース中6レースで優勝。DTMでは、優勝1回、表彰台5回という安定した速さを見せたパー・シュトレソンがドライバーズタイトルを獲得した。そして、その勢いのまま富士スピードウェイで開催された「インターTEC」に乗り込んできたのだ。
ボルボ240ターボは予選から圧倒的な速さを見せ、BMW635CSiや国産勢のスタリオン、スカイラインRSターボを圧倒。決勝レースでもミューラー/デュドネ組、リンドストロム/ブランカテリ組が終始レースをリードしてワン・ツーフィニッシュを飾った。ここから日本のグループAレースの歴史が始まったのだ。
![画像: インターTECゴール後の240ターボ。カーナンバー21が優勝したミューラー/デュドネ組の車両。後ろには3位のBMW635CSiの姿も見える。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/07/30/3db10d0ba714cb75d82ba04c131f259f0b96c9c0_xlarge.jpg)
インターTECゴール後の240ターボ。カーナンバー21が優勝したミューラー/デュドネ組の車両。後ろには3位のBMW635CSiの姿も見える。