1985年のインターTECからスープラの名称でセリカXX(MA61)が参戦していたが、優勝争いに絡むことはできずにいた。トヨタとしても、グループAで総合優勝を狙えるベースマシンがない状態が続いていた。そんな悲しきトヨタファンの期待に応えるべく1987シーズンの全日本ツーリングカー選手権にトヨタチーム トムスにより投入されたのがMA70スープラだ。

グループA仕様スープラは最高出力380psまでチューニングされた

画像: スポーツランド菅生に登場したスープラのエンジンはグループA規定のチューニングで380ps程度を発生していた。

スポーツランド菅生に登場したスープラのエンジンはグループA規定のチューニングで380ps程度を発生していた。

スープラに搭載されたエンジンは7M-GTEU型3L直6DOHCターボ。パワースペックは、ノーマル状態で最高出力240ps/5600rpm、最大トルク35.0kgm/3200rpmとなっている。デビュー戦となる87年の全日本ツーリングカー選手権第4戦(スポーツランド菅生)に登場した仕様では380ps程度の最高出力を発生していたと言われる。

サスペンションは前後ともダブルウイッシュボーン式。ノーマルでは上下Aアームともアルミ合金だが、マグネシウムを多用するなど、どちらかというとグループCに近い作りをしていたという。この辺はトムスのノウハウが生きたところと言える。

画像: デビュー戦で36号車のステアリングを握ったのはAジョーンズとEエルグという世界での実績があるドライバーだった。

デビュー戦で36号車のステアリングを握ったのはAジョーンズとEエルグという世界での実績があるドライバーだった。

ただ、車重は1400kgほどあったと言われ、当時、国産車で直接ライバルとなるスタリオンやスカイラインRS、外車勢のフォードシエラなどと比べて圧倒的に有利だったというわけでもない。この重さの問題は最後までスープラの性能に影を落としたようだ。

スポーツランド菅生でのスープラはデビュー戦でスタリオンに次ぐ予選2位、決勝では優勝という華々しい結果を残した。マシンの性能もさながら、起用したドライバーが1980年、ウイリアムズでF1チャンピオンとなったA.ジョーンズと、ル・マン24時間などで活躍したE.エルグというのも大きかっただろう。

翌1988年のインターTECには500台生産のエボリューションモデル「スープラターボA」が投入される。主な変更点はターボの大型化とインタークーラーの容量拡大、吸気抵抗の低減で、ノーマルスペックは最高出力270ps/5600rpm、最大トルク36.5kgm/4400rpmとなった。まさにグループAを闘うための変更といえる。

画像: 1987年の全日本ツーリングカー選手権はグループAの名車が百花繚乱した時代とも言える。

1987年の全日本ツーリングカー選手権はグループAの名車が百花繚乱した時代とも言える。

スープラターボAのデビュー戦は関谷正徳/小河等というトヨタのエース級ドライバーの手により2位という上々な結果だった。しかしこのマシンも優勝は果たせず、1990年となるとR32スカイラインGT-Rという事実上グループA制覇のために作られたマシンが出てきて、勝利のチャンスはなくなってしまった。

MA70スープラは、グループA黎明期のさまざまなマシンが入り乱れて優勝を競そう「古き良きグループA時代」の最後を飾るマシンとも言えるだろう。

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