クルマ好きなら一度は憧れたことがあるだろうスーパーカー。その黎明期から現代までをたどる連載企画。第27回は「トヨタ 2000GT」だ。

トヨタ 2000GT(1967-1970年)

画像: スタイリングはトヨタの社内デザイナーが手がけた。中古車市場では「億」のプライスが付けられることもある。

スタイリングはトヨタの社内デザイナーが手がけた。中古車市場では「億」のプライスが付けられることもある。

日本の自動車史に燦然と輝く、トヨタの高性能スポーツカー、トヨタ 2000GTは日本を代表するスーパーカーといえるだろう。

トヨタが本格的な高性能スポーツカーの開発を決めたのは、1963年5月に鈴鹿サーキットで開催された日本初の本格的な国際自動車レース、第1回 日本グランプリの直後であったと言われている。パブリカやコロナといったツーリングカー部門では優勝できたものの、スポーツカー部門には参戦できる車両すらなかった。また、この部門で優勝したジャガーやメルセデス・ベンツなどに「世界との差」を見せつけられたのだった。

実際の開発に着手したのは、翌1964年のことだった。だが当時、トヨタは相次ぐ新車販売の計画を進めており、スポーツカーを生産するような余力はなかった。そこで、エンジンのチューニングや試作・生産に関しては、ヤマハ発動機に委託することになった。

5ナンバー規格に収まるサイズは、現代のクルマから見るとかなり小さい。だが、1960年代のスポーツカーらしい、ロングノーズでファストバックのスタイルは流麗な曲線で構成され、その美しさは今もなお評判が高い。ヘッドランプは、日本車としては初めてリトラクタブル式を採用した。

画像: クラウン用のM型(SOHC)をヤマハがDOHC化した3M型エンジン。2バルブながら、ソレックスを3連装して150psを発生。

クラウン用のM型(SOHC)をヤマハがDOHC化した3M型エンジン。2バルブながら、ソレックスを3連装して150psを発生。

インテリアも、楽器メーカーをルーツとするヤマハらしく本物のローズウッドを用いたインパネ、そこに埋め込まれた多眼式のメーターなど、高級スポーツカーと呼ぶにふさわしいクオリティだった。

搭載されるエンジンは、クラウン用のM型 2Lの直6 SOHCをベースにDOHCヘッドを架装した3M型。燃料供給装置はソレックス製キャブレターを3基装着して、最高出力150ps/最大トルク18.0kgmというパワースペックを発生した。サスペンションは前後ともダブルウイッシュボーンという、当時としては凝った方式を採用。また、ブレーキは国産車としては初めて4輪ディスクが採用されていた。

トヨタ 2000GTは1967年5月に発売されたが、発売前の1966年5月に富士スピードウェイで開催された第3回 日本グランプリに参戦。純レーシングカーのプリンス R380に次いで、予選2位、決勝では3位に入賞した。さらに同年10月には高速耐久スピード トライアルに挑戦し、78時間連続走行で3つの世界新記録と13のクラス別国際新記録を樹立し、勇躍市販となった。

1969年にはマイナーチェンジされ、細部が変更されて3速ATも設定された。また、米国輸出を検討して2.3L SOHCを搭載したモデルが数台試作されている。

トヨタ 2000GTはコスト度外視で製作されたため赤字生産が続き、生産累計は337台で終わっている。だが、トヨタの技術を世界に知らしめるという役割を担った歴史的な1台であることは間違いない。

画像: 美しいファストバックスタイルは唯一無二と言える。速さだけでなくエレガントさも日本車離れしていた。

美しいファストバックスタイルは唯一無二と言える。速さだけでなくエレガントさも日本車離れしていた。

トヨタ 2000GT 主要諸元

●全長×全幅×全高:4175×1600×1160mm
●ホイールベース:2330mm
●重量:1120kg
●エンジン種類:直6 DOHC
●排気量:1988cc
●最高出力:150ps/6000rpm
●最大トルク:18.0kgm/5000rpm
●駆動方式:FR
●トランスミッション:5速MT
●タイヤサイズ:165HR15
●当時の車両価格:238万円

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