1974年にデビュー以来、コンパクトFF車のベンチマークであり続けるフォルクスワーゲン ゴルフ。日本でも2021年春には8代目となる新型が発表される予定だが、その前に初代から現行型までのゴルフを振り返ってみたい。第1回は「初代ゴルフ登場」の経緯だ。

偉大すぎたビートルの後継を模索してゴルフが生まれる

画像: ドイツのウォルフスブルク工場では、1974年までビートルが生産された。空冷リアエンジンの流線型という戦前の設計方式ながら、完成度の高い小型車だった。

ドイツのウォルフスブルク工場では、1974年までビートルが生産された。空冷リアエンジンの流線型という戦前の設計方式ながら、完成度の高い小型車だった。

ゴルフはビートルの後継車として開発された。ビートルといえば、自動車史上1、2位を争うほどの大成功作であり、その後を継ぐのは生半可なことではない。

ビートルは1945年から市販が始まったが、ゴルフが世に出るまでの30年間に1500万台以上も生産されている。ただ、非常に優れた設計とはいえ、1930年代に開発された古い設計だったので、早くから後継モデルは必要と考えられていて、数多くの試作車がつくられた。しかし、あまりにビートルが売れるので、それらはことごとくお蔵入りになった。

ビートルはポルシェ社が設計したが、戦前の国家事業を受け継いだのが戦後のフォルクスワーゲン社だった。当初はフォルクスワーゲン工場と称したくらいで、まともな開発部門もなかった。そのため戦後もポルシェ社に新型車の開発を依頼していたが、ビートルの高人気で市販されたのは「タイプ3」と呼ばれるモデルだけだった。

1960年代も終わりに近づくと、さすがに後継モデルの必要性が高まった。ビートルはまだ甚大な数が売れていたが、空冷リアエンジンという方式が、時代に合わなくなり始めていた。

画像: ポルシェ社が開発したEA266。リアシートの下に直列4気筒エンジンを横倒しに搭載する、床下式ミッドシップを採用。生産化の目前でお蔵入りとなった。

ポルシェ社が開発したEA266。リアシートの下に直列4気筒エンジンを横倒しに搭載する、床下式ミッドシップを採用。生産化の目前でお蔵入りとなった。

この頃にはフォルクスワーゲン社も大メーカーとしての体制を築きつつあり、新型車開発の能力も急速に高めていた。テストコースなどの設備の充実はもちろん、他メーカーを買収して、技術力や開発能力を高めた。1965年にはアウトウニオン(アウディ)を傘下に収めた。アウディの前身はFF車のパイオニアメーカーであるDKWで、1962年にNSUと合併させた。NSUは小規模だが、ロータリーエンジン車を世に出すなどの先進的技術の持ち主だった。

この頃、ゴルフとなるはずのコードネームEA337の開発が始まった。開発チームの中心的役を果たすのは、傘下に収めたばかりのNSU出身の技師であった。

その同じ頃、ポスト ビートルの重要モデルの開発にゴーサインが出ていた。ポルシェ社が開発し、幻に終わった「EA266」だ。EA266は先進的な床下ミッドシップ式を採用してスペース効率も優れており、しかも操縦性が際立っていた。開発を指揮していたのは、ビートルの生みの親ポルシェ博士の孫で、後にフォルクスワーゲンを率いることになる若きフェディナント・ピエヒであった。

しかしこのクルマは、エンジンの熱や整備性に問題があり、さらに高コストになった。1971年、新しく会長に就任した生産管理部門出身のルドルフ・ライディングによって、EA266はばっさりと計画を打ち切られた。

ゴルフが採用し世界のスタンダードとなった3つの技術

画像: 1974年に誕生した初代フォルクスワーゲン ゴルフ。今も世界のライバルから一目置かれるゴルフの原点。

1974年に誕生した初代フォルクスワーゲン ゴルフ。今も世界のライバルから一目置かれるゴルフの原点。

凝った設計のEA266は、「1モデル大量生産」というビートルのDNAを受け継ぐフォルクスワーゲンの新型車としては、適していなかった。代わりに起用されたのが、アウディの技術である。アウディの前身のDKWは、フォルクスワーゲン傘下に入る前に、ダイムラー・ベンツの傘下にあり、そこでメルセデスの技術力が注入されて、高品質のアウディが誕生したという経緯があった。その技術力で開発された水冷直列4気筒エンジンが、アウディはもちろん、フォルクスワーゲンにも採用されることになる。

この頃フォルクスワーゲンでは新型車として、NSUの系列のFF車も市販していたが、EA266の撤廃とともにそれらも廃止の方向で、アウディ由来の直列4気筒FF車に統一することになった。これは良くも悪くも合理化であり、面白みはないという見方も当時からあったが、経営が厳しかった状況では正しい選択であり、何より当時、FFは次代を担う待望の新技術であった。

まず中型セダンのアウディ 80が開発され、これを元にハッチバック化したフォルクスワーゲン パサートがつくられた。そしてそれに続いてつくられたのが、ゴルフである。

画像: ゴルフ1を先頭に歴代ゴルフが並ぶ、7代目ゴルフ日本導入時の光景。成功作となった初代ゴルフを原点として、モデルチェンジごとに正常進化しながら、今に至る。

ゴルフ1を先頭に歴代ゴルフが並ぶ、7代目ゴルフ日本導入時の光景。成功作となった初代ゴルフを原点として、モデルチェンジごとに正常進化しながら、今に至る。

ゴルフはエンジンこそアウディ由来のものを使ったが、クルマ自体は体制を整えたフォルクスワーゲン自身の開発で、それ以外にもさまざまな新しい設計が採用された。まず、直列4気筒エンジンを横置きにしたこと。アウディは縦置きだった。4気筒を横置きするFFは、今では世界の大半のクルマで採用されるが、当時は珍しかった。スペース効率が優れるのが最大の特長で、衝突安全性の点でも優位性があった。

また、前:マクファーソンストラット/後:トーションビームというサスペンション形式を採用し、これもその後、世界の小型車に普及することになる。どちらもスペース効率やコストの点で優れるだけでなく、走行性能としても十分優秀なものであった。そして2BOX ハッチバックというボディ形式も、小型車を中心に世界に普及するスタイルとなった。

ゴルフが高いレベルでまとめ上げた、こうした新しい設計方式は、その後、世界のスタンダードになっていく。ゴルフは、見事に偉大なビートルの後を継ぐ存在になるのだった。(文:武田 隆)

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