短期連載「自動車博物館巡り」、今回は広島県福山市にある福山自動車時計博物館。そこはさながら遊園地のよう。体育着にマスク姿の小学生たちが、一見して貴重なヘリテージモデルに自由に乗り込み、ハンドルを動かして・・・一堂に会したコレクションは圧巻だった。(前編/Motor Magazine 2020年12月号より)

福山の起業家が集めた貴重なコレクションが一堂に

福山自動車時計博物館はとてもフレンドリーな博物館だ。地元の小学生たちは館内を自由自在に走り回り、展示車に遠慮なく乗り込み、ハンドルやシフトを勝手に操作する。ここでは能宗 孝館長の「のれ!みれ!さわれ!写真撮れ!」が言葉どおりに実践されている。

時計塔を戴いた建物の中には、展示車が50台。だが周辺の敷地や倉庫には他に250台ほどのコレクションが保管されている。そこで今回から3回にわたって、施設内で見つけた驚きのビンテージモデルたちを紹介したい。まずは地元広島を代表するメーカー、マツダこと東洋工業の戦後復興を担った3輪トラックに注目する。

3輪トラックは日本の人力車がヒントになり生まれたモデルだ。1919年、アメリカ人のW.R.ゴーハムがバイク用エンジンを搭載した前1輪、後2輪、2人乗車のクシカーを日本に登場させる。これを機に前がバイク、後がリアカーという3輪トラックが続々と出現するのである。この発想は後にハーレーダビットソンまでも巻き込むことに。そして1930年代に3輪トラック界を牽引したのが大発(ダイハツ)と東洋工業だった。共に戦時下は軍用車両の製造を強いられることとなる。

戦後の1945年、いち早く3輪トラックを手掛けたのも先述の2社。大発が11月、東洋工業が12月だからほぼ同時スタートである。

■マツダ号PB型三輪乗用車(MAZDA Type-PB 3Wheel Taxi)

画像: マツダ号PB型三輪乗用車。

マツダ号PB型三輪乗用車。

■マツダ号PB型三輪乗用車
・モデル年式:1950年(展示車は再現車)
・主要諸元:全長3660×全幅1605×全高1750mm
・エンジン:GB型空冷単気筒701cc、最高出力15.2ps/2800rpm、最大トルク4.2kgm/2200rpm
→GHQが1949年10月に国産乗用車の生産を許可。そこでマツダこと東洋工業は3輪トラックをベースに後方にキャビンを設けたタクシーを製造。足漕ぎ3輪の「輪タク」の動力版とも言うべきモデルで6人乗りとしていた。初乗りは60円で「バタンコタクシー」と呼ばれ2年間で690台が世に送り出された。エンジンは戦前からの流れを汲む701ccの単気筒SVで15.2psを発生。4速MTを介して最高速65km/hを謳っていた。展示車は1987年に1952年式LB型3輪トラックをベースに半年かけて復刻したもの。そこには東洋工業や広島タクシーなど当時関わっていた方々の協力があったという。テールランプはブレーキとバックの各1灯しかないのが時代を感じさせる。

This article is a sponsored article by
''.