等速ジョイントの開発がFF車の普及に大きく役立った
乗用車と言えばFRという時代から、FFへと大きく流れが変わっていったのが昭和50年代半ば、1980年前後からだ。FRは前輪で舵を切り、リアで駆動力を伝えるという役割分担ができる。前輪と後輪が別の役割をしており、構造もシンプルで済んだ。それに対して、FFは舵を切りながら駆動力も伝えなければならないというのが技術的なネックとなっていた。
FF方式自体は戦前からあり、一部レーシングカーなどで有効性を示していたが、一般的には上記の技術的、コスト的問題。また駆動力を十分に生かせないことなどから主流にはなり得なかった。画期的だったのは英国で1959年に発売されたBMCの「ミニ」だ。
これはコンパクトなボディに直4エンジンを横置きし、その下にトランスミッションを置くという方式をとり、限られたスペースを有効に使えた。これは設計者の名前から「イシゴニス方式」と呼ばれた。
ミニでは前輪駆動の問題は、それまでドライブシャフトに使われていたカルダン(フック)ジョイントに変わって、ハブ側に「バーフィールド・ツェッパジョイント」という等速ジョイントを採用することで解決していた。
この等速ジョイントは、金属のボールをジョイント部に使っていた。これにより、ジョイントの角度が変わっても、内部のボールの移動によって、入力軸の中心と出力軸の交わる接合点が中心部になるので、ジョイントを挟んだ両軸の回転が常に等しくなる。これで一気にFFが普及した。
その後もミニはデフ側に従来のジョイントを用いられていたが、1966年に東洋ベアリング(現・NTN)がDOJ(ダブルオフセットジョイント)を開発したことも大きな転換点となる。これは、回転方向だけでなく伸縮方向にも動くことができるもので、サスペンションの追従性などにより上手く対応する性能を持たされた。
このDOJを最初に採用したのがスバル1000だ。このクルマは、エンジンこそ水平対向4気筒を縦置きしていたが、4輪独立サスペンションやインボードブレーキなど画期的な機構を盛り込み、FF車のベンチマークとなったとともに、現在も根強い人気を持っている。
そして、ホンダが1967年にN360以降、FF車中心のラインアップをそろえ、1970年になると日産がチェリーを発売し人気を得た。FF車の決定版とも言えるのが1980年に登場したマツダファミリアで、当時の若者層を中心に爆発的な人気を得るに至り、日本のFFの金字塔的なモデルとなった。(文:Webモーターマガジン編集部 飯嶋洋治)