街道レーサーのルーツになったとも言われている、ツーリングカーレースに参戦していたマシンたち。クルマ好きは、これらを「ハコ」と呼んで愛した。連載第7回で紹介するのは、16バルブDOHCを積んだ「KP47型パブリカ・スターレット」だ。
市販車には存在しなかった16バルブDOHC
カローラが世に出る前、1961年に誕生したトヨタ初の大衆車がパブリカ。1969年に2代目にフルモデルチェンジし、1973年にパブリカのスポーティな上級シリーズとして「パブリカ・スターレット」がデビューした。
![画像: OHVの1.2Lだった3Kエンジンを4バルブDOHCにしてしまった3K-R(137E)。1.3Lながら180馬力を発生した。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2018/12/06/11564b6cbff1c5ffcbaa21ffec07b038a64b9398_xlarge.jpg)
OHVの1.2Lだった3Kエンジンを4バルブDOHCにしてしまった3K-R(137E)。1.3Lながら180馬力を発生した。
パブリカ・スターレットはスポーティさをウリにするため、当時人気の高かったマイナーツーリングレースに打って出る。市販車に搭載されていたOHVの3K型エンジンをベースに、ボアを4mm広げて79.0mmとし、ストロークは66.0mmのままで排気量を1166ccから1293ccにアップ。
そのブロックにヤマハ発動機が専用開発した4バルブDOHCヘッドを載せた3K-R(137Eとも呼ばれる)エンジンで必勝を期したのだ。
![画像: 1973年にレースデビューしたDOHCスターレットを、トムスが2018年に完全復元した。ボディのベースは市販車だ。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2018/12/06/b6f2ddadc02c56e53638fa7a355114428e546844_xlarge.jpg)
1973年にレースデビューしたDOHCスターレットを、トムスが2018年に完全復元した。ボディのベースは市販車だ。
日本電装製のインジェクションやドライサンプ方式、そして各部にマグネシウム素材も採用した。これらのパーツは、当時は50台生産すればオプション部品として公認されたのだった。
当初の最高出力は180馬力だが、のちに205馬力までパワーアップした。このDOHCスターレットはトヨタワークスの再来といえ、1973年11月の富士ビクトリー200kmレースに参戦。3位以下に20秒以上もの大差をつけて1-2フィニッシュを遂げたのだった。
![画像: トヨタワークスの解散後、レースにはトムスとクワハラのプライベートで参戦していた。クワハラ車は現存している。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2018/12/06/9466510d9b9a3fa485c209afcc774e8b43a5f9e2_xlarge.jpg)
トヨタワークスの解散後、レースにはトムスとクワハラのプライベートで参戦していた。クワハラ車は現存している。