名機なくして名車なし。一時代を築き今も高い人気を誇るクルマたちには、必ず名機と呼ばれるエンジンが搭載されていた。そんな両者の関係を紐解く短期集中連載。第1回目は累計30万機も生産されDOHCエンジンの大衆化に貢献したトヨタの名機2T-Gとその搭載車を紹介する。

1960年代、レースシーンに直結したDOHCエンジンは、その精巧精緻なメカニズムゆえ、量産車に搭載されることはまれだった(ホンダは先行してSシリーズやT360で商品化していた)。トヨタが初めて量産化したDOHCエンジンはあのトヨタ2000GT(1967年)に搭載された2L直6の3M型である。だが、ご存知のとおり車両自体がとんでもない高価格であり、DOHCのなんたるかを庶民が体感することはできなかった。なお3M型については後日改めて紹介するが、その開発の過程でヤマハ発動機が深く関与していたことは覚えておいてほしい。

さて、2000GT発売以降、トヨタからはトヨタ1600GT(1967年発売)に搭載された1.6Lの9R型(トヨタ初の4気筒DOHC)、初代コロナマークⅡの高性能バージョンであるGSS(1969年発売)に搭載された1.9Lの10R型(のちに8R-G型に呼称変更)などが登場した。2000GTと異なりいずれも量産車ではあったが、それでも高価でありまだ知る人ぞ知るマニアックな存在であった感は否めない。

DOHCの大衆化を目指して本体はトヨタが、ヘッドはヤマハが開発

画像: DOHCの普及を意図して開発された2T-Gエンジン(初期型)。コストを抑える工夫が随所に見られた。

DOHCの普及を意図して開発された2T-Gエンジン(初期型)。コストを抑える工夫が随所に見られた。

そんな状況を一変させたのが、初代セリカに搭載されてデビューした1.6L直4DOHCの2T-Gである。開発に際し、トヨタはDOHCエンジンのもつスポーツ性を量産車のプレミアムな価値を低価格で本格展開(量産化)すべく、徹底的なコストダウンを前提に開発を進めた。

ベースとなったのはR型の後継機として当時開発が進んでいた直4OHVエンジンのT型で、本機はDOHC化も見据えて(クランクシャフトがより高回転向きの5ベアリング支持になっているのはその一例)トヨタ社内で開発する一方、2T-G用DOHCヘッドの開発は例によってヤマハ発動機に委託した。価格を下げるための対策は徹底しており、ディープスカート式鋳鉄製シリンダーブロックはT型のものがほぼそのまま用いることができるようになっていた。プッシュロッドが通る穴が残っているのはその名残である。

一方、ヤマハが設計したアルミ製DOHCヘッドは、燃焼室をクロスフローの半球形として、挟角66度で吸排気バルブ(気筒あたり吸気1、排気1の2バルブ)を配置している。それを2本のカムシャフトで駆動するわけだが、OHVのT型ではカムシャフトがくる位置にポンプドライブシャフトを設け、そこで一次減速する2ステージ・ダブルローラーチェーンが採用された。低速時にチェーンが発する音をおさえるため、プライマリーチェーンにチェックボール入りテンショナーが設定されている。

画像: 腰下(シリンダー)はトヨタ、DOHCヘッドはヤマハが主たる開発を担当した。量産エンジンをベースにDOHC化するのはトヨタのお家芸となる。

腰下(シリンダー)はトヨタ、DOHCヘッドはヤマハが主たる開発を担当した。量産エンジンをベースにDOHC化するのはトヨタのお家芸となる。

燃料の供給は各気筒独立チョークとするため、スロットルボア径40mmのソレックス2チューク40PHH3型キャブレター(三国工業製のトヨタ純正部品)を2基装着している。出力低下を招かない範囲でインテークマニフォールド内径を細くして、慣性効果で加速時のレスポンス向上を図ったのも2T-Gの特徴である。なお、バルブリフターは前述の10R型(のちの8R-G型)、エアクリーナーは3K型と共用するなど、細部までコスト低減が徹底されていた。

エンジン本体のスペックは、排気量1588cc、ボア×ストロークは85.0×70.0mm、圧縮比は9.8で、最高出力115ps/6400rpm、最大トルク14.5kgm/5200rpm。当時の仕様書によれば機関長653×幅677×高さ597mmとなっている。整備重量は152kgだ。使用燃料はハイオクであるが、レギュラーガソリン仕様も用意され、こちらは2T-GRという型式呼称が付けられた。圧縮比を8.8まで下げた結果、エンジンの出力はややおとなしくなり最高出力は110ps/6000rpm、最大トルクは14.0kgm/4800rpmとなっている。組み合わされるトランスミッションはT50型で、これも改良を重ねながらAE86レビン/トレノまで使われた。

初代セリカに搭載し圧倒的な低価格を実現

画像: 1970年12月に発売された初代セリカ1600GT。スペシャリティカーというジャンルを日本で確立したクルマとして知られるが、その付加価値を大いに高めたのが2T-G型DOHCエンジンだった。

1970年12月に発売された初代セリカ1600GT。スペシャリティカーというジャンルを日本で確立したクルマとして知られるが、その付加価値を大いに高めたのが2T-G型DOHCエンジンだった。

こうして誕生した2T-Gは、まずは1970年12月から発売された初代セリカの最上級グレードである「1600GT(TA22型)」に搭載された。当時の車両価格は87万5000円。同時期に販売されていた同クラスの4気筒DOHCエンジン搭載モデル、たとえばいすゞベレット1600GTR(G161W型搭載)は116万円、三菱ギャランGTO MR(4G32型搭載)は112万5000円であったことを考えると破格のバーゲンプライスであり、一気に人気に火が付いた。

そしてその人気を決定的なものにしたのが、1972年3月に発売されたカローラレビン1600(TE27MQ型)とスプリンタートレノ(TE27MB型)だ。TA22型セリカの車両重量は940kgだったのに対し、レビン/トレノは855kg(レビン)。その差は歴然で、乱暴と言えるほどにパワフルなマシンが登場した。しかも価格は81万3000円。これに日本中の若者が飛びついたのだ。レースやラリーのベースとしても重宝され、豪快な走りを披露した。ちなみにレビンのパワーウエイトレシオは7.43kg/psで、当時スポーツカーの代名詞となっていたポルシェ911(1080kg /130ps)の8.08kg/psを上回っていた。

画像: 2T-Gの評価を決定したのがTE27型レビン/トレノ。855kgの軽量ボディと2T-Gの組み合わせは刺激的な走りを味わわせてくれた。

2T-Gの評価を決定したのがTE27型レビン/トレノ。855kgの軽量ボディと2T-Gの組み合わせは刺激的な走りを味わわせてくれた。

こうして誕生した2T-Gは、以後、カリーナやカローラ/スプリンターのGT系など量販車に続々と搭載され、途中排出ガス規制対応のための生産休止や改良をはさみながらも、ツインカム王国=トヨタの地歩を着々と固めていく。

<その後の2T−G>
1976年:昭和51年排出ガス規制適合のためにインジェクション(EFI:電子制御燃料噴射装置)化され酸化触媒が装着される。圧縮比も8.4まで下げられた。その結果、最高出力は110ps/6000rpm、最大トルクは14.5kgm/4800rpmにダウン。
1978年:昭和53年排出ガス適合のため三元触媒を装着するが、最高出力115ps/6000rpm、最大トルク15.0kgm/4800rpmと、初期の性能を取り戻す(トルクはむしろ増えた)。
1981年:燃焼室形状を半球型から多球型に変更。いわゆる「LASRE(レーザー)」エンジンに進化。圧縮比は9.0までアップされた。最高出力と最大トルクは変更なし。

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