スペシャリティカーの始祖として輝く、華やかなクーペ
そして同じ年の12月、ジョバンニ・ミケロッティのオリジナル・デザインによる1300クーペが発表された(セダンもミケロッティ・デザイン)。
このクーペのエンジンは同一排気量ながら圧縮比を8.5から9.0に高め、SUキャブを 2連装して、最高出力65ps/5500rpm、最大トルク10.0kgm/3800rpmを発生した。車重が945kgであるから、馬力当たり荷重は14.5kg/ps(SAE)と当時としては良好なものになる。
1300クーペはミケロッティの傑作のひとつに数えられる。当然のように内外から高い評価を受け、昭和40(1965)年7月イタリアで行われた第5回国際エレガンス・コンクールをかわきりに、昭和41年9月の1966年度国際自動車エレガンス・コンクール(ベルギー)、 昭和42年6月の第4回サンミッシェル自動車エレガンス・コンクール(ベルギー)においてセダン/クーペはともに3年連続して権威の高い名誉大賞を受けている。
スタイルの美しさだけでなく、レースでの活躍もめざましく、昭和41年(1966年)11月の第9回リバーサイド・タイムスGPレース (USA)でクーペが総合優勝し、翌42年のルソン島一周耐久レースでも1、2位を独占した。
国内のレースにおいてもその活躍は目覚しかった。リアエンジンの特徴である、オーバーステア気味の操縦特性はかなり顕著だったし、高速での直進安定性にはやや問題はあったものの、ラック&ピニオン式のステアリング・システムはシャープなステアリング・レスポンスを示す。またサスペンションにしてもロールを十分に抑えた設定となっており、そのハンドリングにはきわめてスポーティかつユニークなものがあった。
価格は85万8000円と、フェアレディ1500(88万円)よりわずかに低く設定されていたが、ウッドパネルのインストルメント・パネルなど内装にも行き届いた配慮がなされ、スポーツ・タイプである以上に日本で初めてのスペシャリティカー的な性格を備えたモデルとして、特異な存在となっていた。またDOHCエンジン搭載の計画もあったがそれは実現せず、昭和42(1967)年8月に生産終了となった。