ランボルギーニがサンタアガタ・ボロネーゼに新工場を開設したのは1963年のこと。それからおよそ10年後、1974年3月にレジェンドであるカウンタックの量産がスタートしました。それから最新のレヴエルトに至る50年の足跡を、選りすぐりのオフィシャルカットでご紹介。生産スタイルは劇的に変化しながらも、モノづくりに対するこだわりは変わりません。

1999台を生産した「聖地」はブランドに革新をもたらした

アウトモビリ・ランボルギーニのファクトリーは2023年3月、記念すべき60周年のアニバーサリーを迎えました。

画像: 正確な年代は不明だが、比較的初期のファクトリーの風景と思われる。現代の風景と比べると、とてものどか。

正確な年代は不明だが、比較的初期のファクトリーの風景と思われる。現代の風景と比べると、とてものどか。

画像: こちらが現代のファクトリー全景。総面積は34万6000平方メートルに達する。写真中央端の建屋が、創業当時の面影を残している。

こちらが現代のファクトリー全景。総面積は34万6000平方メートルに達する。写真中央端の建屋が、創業当時の面影を残している。

「新工場」が建設されたのは、創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニの故郷にほど近い、サンタアガタ・ボロネーゼ。設立当初のものと思しき画像を見ると、なんとものどかな田園風景の中に「当時、最先端」を謳う拠点が建設されています。

ランボルギーニ初となる「350GTVプロトタイプ」のメディア向けお披露目は、この新工場で行われたそうです。ちなみに生産台数は、1964年が67台だったのに対して1971年には425台に達しています。

画像: 初期型と思われる。塗装工程だろうか?手作り感が濃厚なワンシーン。

初期型と思われる。塗装工程だろうか?手作り感が濃厚なワンシーン。

そして1974年3月、カウンタックの量産がスタート。今回のアニバーサリーは、その50周年を祝うものです。

この時、ランボルギーニはその歴史上初めて、ボディワークを内製化しています。それまではボディ製造は外部のコーチビルダーに委託、サンタアガタ・ボロネーゼの工場まで運び、フレームとメカニカルパーツを組み合わせる工程をとっていました。内製化は、その後のランボルギーニの成長に大きな影響をもたらすものでした。

以降、16年にわたってカウンタックの生産は続きます。各世代の工場出荷台数は以下のとおりです。

●LP400(1974~1978年) 152台
●LP400 S(1978~1982年) 235台
●5000S(1982~1984年) 323台
●クワトロバルボーレ(1985~1988年) 631台
●25th アニバーサリー(1988~1990年) 658台

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