1961~70年は、日本の近代スポーツカーが飛躍的に進化した10年だった。この時代に矢継ぎ早に投入された新型スポーツカーは、まさに日本の自動車技術の進化の歴史と言っていい。そんな飛躍の10年を彩った珠玉のマシンを振り返ってみる。まず最初はトヨタ2000GTだ。
欧米メーカーにトヨタの存在を知らしめた
「トヨタ 2000GT(MF10型 1967年5月発表)」。
![画像: 前期型と後期型では、フロントのドライビングランプなどの形状が異なる。撮影車は前期型。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/02/06/04dda6d04ee87eca4117f3da03ecab5325459cab_xlarge.jpg)
前期型と後期型では、フロントのドライビングランプなどの形状が異なる。撮影車は前期型。
日本がまだ自動車後進国と見られていた1960年代、「欧州のメーカーと肩を並べるには、象徴となるスポーツカーを持たねば…」との思いから、トヨタが当時の技術力を結集した。
エンジンはクラウン用のM型直列6気筒に2ステージ・ダブルローラーチェーン駆動のDOHCヘッドを架装した。
![画像: 直列6気筒の2L DOHCは2バルブだったが、グロスで150psと18.0kgmを発生した。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/02/06/584536dfc353ac1fcf8dd429c2dca4d724354df4_xlarge.jpg)
直列6気筒の2L DOHCは2バルブだったが、グロスで150psと18.0kgmを発生した。
グループ会社である日本楽器製造(現ヤマハ)の楽器製造技術による美しいウオールナット製のインパネなど、部品ひとつに至るまで純国産にこだわって開発したのが、今のなお名車と謳われるトヨタ2000GTだ。
発売前に連続高速耐久スピード世界記録を樹立して話題をさらうなど、海外にもトヨタの存在を印象付けた記憶すべき1台となった。
![画像: ウオールナットのパネルに独立したメーターが埋め込まれる。パーキングブレーキはステッキ式。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/02/06/b89f08f446f4d18e81a76c71138f64f99a004207_xlarge.jpg)
ウオールナットのパネルに独立したメーターが埋め込まれる。パーキングブレーキはステッキ式。
トヨタ2000GT 主要諸元
●全長×全幅×全高:4175×1600×1160mm
●ホイールベース:2330mm
●車両重量:1120kg
●エンジン・型式:直6DOHC・3M
●排気量:1988cc
●最高出力/最大トルク:150ps/18.0kgm
●サスペンション前/後:ダブルウイッシュボーン
●発売時価格:238万円
![画像: '60年代の国産スポーツカーについては、ホリデーオート2019年2月号にも掲載されています。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/02/06/03c0d58affdb2bfe25617cdb54fe626293589579_xlarge.jpg)
'60年代の国産スポーツカーについては、ホリデーオート2019年2月号にも掲載されています。