1961~70年は、日本の近代スポーツカーが飛躍的に進化した10年だった。この時代に矢継ぎ早に投入された新型スポーツカーは、まさに日本の自動車技術の進化の歴史と言っていい。そんな飛躍の10年を彩った珠玉のマシンを振り返ってみる。今回はイタリアンデザインの2台、ダイハツ・コンパーノ スパイダーとマツダ・ファミリア クーペを紹介しよう。

どちらも短命の終わった、元気印のリッタースポーツ

「ダイハツ・コンパーノ スパイダー(F40K型 1965年4月発売)」

画像: イタリアンデザインの美しい4シーター・オープンモデルだった。

イタリアンデザインの美しい4シーター・オープンモデルだった。

1963年4月、当時はオート三輪メーカーだったダイハツが初めて送り出した四輪車は「コンパーノ」のライトバンだった。

基本デザインはイタリアのカロッツェリア、ヴィニヤーレ。同年6月にワゴン、11月にセダンのベルリーナを発売し、翌65年4月に発売されたのが、ここで紹介するスパイダーだ。

コンパーノはラダーフレーム付きだったので、オープン化は比較的容易だった。4人乗りの流麗なオープンカーのエンジンは1LのOHVながらソレックス製キャブレターを2連奏し65psを発生。最高速度は145km/hを誇った。

だが、トヨタ・スポーツ800やホンダS800より10万円ほど高い価格のせいもあり、売れ行きは今ひとつだった。

画像: ソフトトップの開閉は約30秒と謳われていたが、実際にはもっとかかったらしい。

ソフトトップの開閉は約30秒と謳われていたが、実際にはもっとかかったらしい。

コンパーノ スパイダー(1965年) 主要諸元

●全長×全幅×全高:3795×1445×1350mm
●ホイールベース:2220mm
●車両重量:790kg
●エンジン・型式:直4 OHV・FE
●排気量:958cc
●最高出力/最大トルク:65ps/7.8kgm
●サスペンション前/後:ダブルウイッシュボーン/リーフリジッド
●発売時価格:69万5000円

「マツダ・ファミリア クーペ(MPA型 1965年11月発売」

画像: ボディ全周を取り巻いているメッキモールがユニーク。

ボディ全周を取り巻いているメッキモールがユニーク。

ダイハツ同様、オート三輪メーカーだったマツダは、軽自動車のキャロルや小型トラックなどの生産を開始する。

1963年10月、小型自動車のファミリアを発表するが、これもダイハツのコンパーノと同じくライトバンから発売される。

基本デザインは、イタリアン・カロッツェリアのベルトーネ。翌64年4月にワゴンが、さらに10月に4ドアセダンが追加された。

1965年11月、セダンをベースにした2ドアクーペが発売される。エンジンは国産1Lとしては初のSOHCで68psを発生し、最高速度は奇しくもコンパーノ スパイダーと同じ145km/hと高性能ぶりを競っていた。

ファミリア クーペの発売からちょうど2年後の1967年11月、ファミリアはフルモデルチェンジされる。コンパーノ スパイダー、初代ファミリア クーペとも短期間でフェードアウトしたのが惜しまれるモデルだ。

画像: 全長と全幅はセダンと同じだが、全高は40mm低められていた。

全長と全幅はセダンと同じだが、全高は40mm低められていた。

ファミリア 1000クーペ(1965年) 主要諸元

●全長×全幅×全高:3700×1465×1345mm
●ホイールベース:2190mm
●車両重量:790kg
●エンジン・型式:直4 SOHC・PA
●排気量:985cc
●最高出力/最大トルク:68ps/8.1kgm
●サスペンション前/後:ダブルウイッシュボーン/リーフリジッド
●発売時価格:64万8000円

画像: 1960年代の国産スポーツカーについては、ホリデーオート2019年2月号でも紹介しています。

1960年代の国産スポーツカーについては、ホリデーオート2019年2月号でも紹介しています。

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