スポーツカーにとって、速さを備えていることは確かに魅力のひとつだ。だが本質はそこではない。身体とクルマがひとつになったように走ることの喜び。あえて3ペダルMTの2台でその嬉しさを感じる。(MotorMagazine2024年6月号より再構成)

【インプレッション】マジンガーZほどではないにせよ「強い」

なぜ、私たちはかくもクルマに執着するのだろうか。元を正せば「移動のツール」である。人と荷物を積み、遠くへ早く移動できる手段として、馬や牛の代わりに発明された。同時に人は、クルマにも馬と同じ魅力を見出したのだ。

画像: 各ギアのキャラクターとエンジン回転との組み合わせをじっくり味わいたい。

各ギアのキャラクターとエンジン回転との組み合わせをじっくり味わいたい。

移動ではなく「操る悦び」である。つまり「ドライビング」だ。

乗馬を経験された方ならば、なぜそれが楽しくて、趣味としてスポーツとして成立するのか、よくご存知だろう。全身を使って生物を操るというそれは、リアルに高性能な「身体の拡張」であった。

クルマは、生きものではないし、馬と違って意志も感情も持たない(クルマ運転好きはそれに近いことを見出そうとするが、ない)けれど、その代わり馬よりも大きく、重く、硬い。そしてかなり速い。

要するに、マジンガーZほどではないにせよ「強い」のだ。

個人的な身体の高性能な拡張性を持つ、という意味においてクルマほど強力な存在は他にない。しかも所有できる=いつ何時でも自由に使っていいのだ。カッコ良いから欲しいという欲望の根拠もまた、そういった強力な拡張性のひとつの結果でしかないだろう。

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